西湖ニットの廃工場を新たな拠点とした桜花の一行は、さっそく住環境づくりを始めた。 住所で言えばヒルコにあたる、このアオガキ市東部は、かつて多くの製造業者が操業していた工場街だったが、戦争末期の空襲でその殆どが焼失し、辛うじて戦火を免れた会社も経営に行き詰って徐々に消えていった。敷地規模から推察して西湖ニットは、中でもそこそこ大きな資金を有する繊維業者であったようだが、周囲の会社が工場を畳んでいく中、何らかの切迫した事情に追われこの繊維工場も街から急ぎ出て行ったのであろう。 日没し、境界線の曖昧となった鉄骨の塊は、まるで巨大な亡霊のようだと瑞穂は思った。ゴツゴツとして不気味さを漂わせる無機質な金属の列柱の間を、ぼんやりとした白っぽい暖色の発光が、揺らめきながら近付いて来るのを見つける。 ある種のマニアであれば怪奇趣味すらそそられるのかもしれない、夕暮れの廃工場には、あまり騒音がない。ゆっくりとした流れのアオガキ川の対岸から、帰宅時を迎えた市営環状線の走行音が、ときおり聞こえてくるだけであり、そうした静寂が却って不気味さを煽る。 「上、掃除終わっちゃったぜ。こんなのも見付けた。戦時中かって感じだけど、何もないよりはマシだろ」 火を灯した蝋燭を掲げながら大和が言った。 休憩室などが入っているプレハブの掃除を大和は受け持ってくれていた。作業中に、おそらく物置となっていた部屋から、蝋燭や、蝋燭立に変わった小皿を見付けたのだろう。 「真と悠希はまだ買い物か?」 傍らに腰を屈めながら大和が訊いてくる。同時に目の前が少しだけ明るくなり、書類のアルシオン語が鮮明になる。 座った姿勢のまま隣を見上げると、すぐ傍に白く細長い塊が来ていた。どうやら薄暗い中で慣れない言語の文面と格闘している瑞穂に、灯りを近付けてくれたようだった。 「食料調達って言ってたから、コンビニだと思うけど……ひょっとしたら、スーパーに行ったのかも」 本日付で桜花に参加した悠希という少女が、随分と先鋭的な経済感覚の持ち主であることは、大して直接的な話を交わしていない瑞穂にも充分に窺い知れた。悠希なら、徒歩十分圏内にある、殆ど商品値引きのないコンビニエンスストアよりも、三十分以上離れたスーパーマーケットへ買い物に行きそうである。 「かもな。……で、そっちはなんとかなっちゃいそうか?」 大和も手元を覗き込んでくる。そしてシトラスに混じって汗の匂いが瑞穂の嗅覚へ触れた。 六室あるプレハブの部屋は、どれも埃でザラザラとしており、割れたガラスや剥がれた床敷きも多かった。それを大和は文句も言わずに一人で掃除をしてくれたのだと思うと、瑞穂は申し訳なく思った。 「それが……もう少しなんとかなると思ってたんだけど」 アサルトライフルの箱を開けて同梱されていた書類を見付けたときには、正直に言って歓喜した。 軍役の経験がない自分達に、正確な銃器の知識などある筈はない。せっかくのAM16も、使い方がわからなければ、それこそ悠希ではないが換金でもしない限り無意味だ。だから荷箱を解き、同梱されていた書類を見た瑞穂は、あるいは仕様書やマニュアルの類かもしれないと思い、さっそく目を通し始めたのだが、情けないことに目の前の書類が何を意味する文面であるかもわからなかった。 この春に高校を卒業した瑞穂の、在学中の成績があまり誉められたものではないという自覚は本人にもあった。同じマホロバ府立アオガキ高等学校を十一年前に卒業し、帝大法学部へ進学した兄の志貴は、結果的に一年足らずで中退したものの、高校卒業時には次席の成績を修めていた。巡り合わせの悪いことに、当時を知る担任教諭から三者面談の際、「お兄さんは優秀だったのだから」と励まされるたび、母の前で気が重くなったことは、二度や三度のことではない。 「商品と同梱されてるってことは、納品書って可能性もあるんじゃね? ……やべぇ、知らない単語ばっかりじゃん。こんなことなら、もう少しネトゲで語学磨いとくんだった」 「納品書の可能性は俺も考えたけど、そういう感じではないと思う」 長文の文面を見ながら瑞穂は言った。まるで見慣れない単語が羅列されている書面を前に、今にも折れそうな心を、ギリギリの瀬戸際で繋ぎとめる。 ネトゲで磨くかはともかくとして、もう少し真面目に語学を勉強するべきだったという大和の言葉には、瑞穂も同意である。 駐留しているアルシオン兵や、商売目的で入国しているアグリア人は、皆、あたりまえのように流暢なカミシロ語を話す。お蔭で日頃、外国語の必要性を感じないカミシロ人は多いが、世界的に共通語として認識されている言語は、あくまでアルシオン語だ。これを身につけておいて不便な筈はない。そして外国の言語をマスターしておくことは、情報戦の基本でもある。駐留アルシオン兵が普通にカミシロ語を話す点から察しても、戦争中から高度な諜報活動が行われていたのであろうことは、過去を振り返り、すぐに指摘された問題点だった。しかしながら、反省をし、金銭の授受をカミシロの独自通貨であった仁(じん)から、アルシオンのディールへ変えられても、尚、この国において語学の学習カリキュラムが劇的に良くなるということはなかった。 もっとも、勉学に対する姿勢そのものに問題のある、瑞穂や大和の場合は、それ以前の話であろう。 「俺もアルシオン語はからっきしだしなあ……とりあえず、真が帰ってきたら頼んでみるか? 俺達の中じゃあ、一番の高学歴だしさ。っていうか、お前の兄貴はもっと頭いいだろ。志貴に訊いちゃったらいいんじゃないの?」 「兄さんに訊くのは論外だと思う」 志貴は一年で大学を中退している為、実際には瑞穂と同じ高卒扱いだ。とはいえ、次席で帝大へ進学した頭脳の持ち主であり、複数の外国人とも交流がある。志貴ならアルシオン語の読解などお手の物であろうことは、瑞穂にも容易に想像がつくのだ。 だが、十年前に大学を中退し、『S&Kプランニング』を興して以降、志貴は秋津家を出て行き、瑞穂とも疎遠となっていた。S&Kプランニングなる正体不明の組織の周囲による評判は、けっして芳しいものではない。在留アルシオン人や怪しげなアグリア人グループと通じて、互いの利益供与を図ってさえいる。瑞穂にとって、それはけっして受け入れることの出来ない利敵行為であり、同胞への裏切りであって大罪だと感じていた。 「確かに、俺や大和がグダグダやってるよりは、真が書類を見た方が早そうだね」 紙を畳みながら瑞穂は言った。 「お前、まだ兄貴と仲直りしてないのか……」 「べつに喧嘩したわけじゃないよ」 幼馴染である大和もまた、志貴をよく知っている一人だ。 瑞穂が五歳の頃、父の叢雲がスザク拘置所で処刑された。泣きじゃくる瑞穂と、つられて泣く大和の二人を、自分も辛かったであろうに、ひたすら歯を食いしばって志貴は慰めてくれた。 翌年に志貴が『一心会』を結成し、祖国の為、愛する人々を守る為に活動を始め、幼い瑞穂や大和もそれを手伝った。活動内容は、それまで志貴が個人で実施していた地域のボランティアや自警活動を一歩推し進めたものだ。拠点となった秋津家の志貴の勉強部屋に、公共施設では掲揚禁止となった国旗の桜花を掲げて国家を斉唱することにより、仲間同士の結束力を固めて民族意識を再認識する。 いつからか志貴のクラスメイト、斐伊川賢(ひいかわ けん)もメンバーに加わり、四人になった一心会は、ハーフで語学に堪能な賢による情報収集能力の向上で、駐留軍であるOGPの謀略やアルシオン軍の犯罪を研究し、啓蒙や防災が活動内容に加わった。子供の二人には、わからないことだらけだったが、チラシ配布を手伝ったり、アルシオン語の本やインターネットサイトを前に戦略会議めいたことをする勉強会の時間を、瑞穂も大和も結構好きだった。 しかし、帝大へ進学した志貴は、首席で高校を卒業し、同じく帝大法学部へ進んだ賢との関係を重視するようになった。兄弟の関係が疎遠となった瑞穂の傍で、ずっと寄り添い支えてくれたのが、一歳年下の大和だ。そんな二人に、瑞穂よりも三歳年上の真が間もなく加わった。 やがて中学へ進学し、保健の授業で第二次性徴について学んだ瑞穂が、あるとき体調を悪そうにしている真から、生理中であることを聞かされた衝撃は小さくなかった。隣で同じように驚いていた、まだ小学生で声変わりをしていない大和が、「男の癖に生理なんかあっちゃうのかよ!」と商店街の真ん中で甲高く叫び、次の瞬間、顔を真っ赤にしたうら若き乙女たる真から、回し蹴りの制裁を受けていた。少年二人から、信頼のおける兄貴分と崇められていた大八島真の性別が、女だと判明した夏の日の午後だった。 「それか、動画サイトを検索してみちゃうって手もあるぜ」 提案しながら、大和が蝋燭を持っていない手を伸ばし、箱の中からボルトキャリアを掴んで弄ぶ。 「動画サイトか……」 アルシオンの占領下に置かれたカミシロでは、他国のように、検閲のない知る権利が保障され、自由闊達な言論活動が出来るわけではないが、それでもインターネット利用は可能だ。使い方を工夫すれば、それほど不自由なく、知りたい事を知ることが出来る。 インターネット利用や言論規制、思想弾圧に関しては、あるいは、隣国ソヴェティーシュの方がよほど厳しいかもしれない。ジャコミュ主義国家のかの国において、民衆は自由な言論と無縁の環境にあった。 「要は使い方さえわかればいいんだろう? AM16は比較的有名なアサルトライフルだし、アルシオン語で検索したら、いくらでも動画ぐらい上がってるでしょ。実際に使ってる映像が確認出来たら、なんとかなっちゃうんじゃね?」 言いながら、大和が黒いパーツを振り回してカチャカチャと耳障りな音を鳴らす。 「そう簡単にいくかは疑問だけど、……まあ、調べてみる価値はあるかな」 役に立たなかったアルシオン語の書類を収めて木箱に蓋をする。傍らの大和が蝋燭を手に立ち上がると、宙を見つめたまま首を捻った。 「あっちの方……、なんか声しねえか?」 瑞穂も立ち上がり、大和の視線を追う。ゲートの辺りだ。 「真達が帰って来たんじゃないのか?」 日没し、すっかり暗さを増した廃工場は、ときおり通過する電車の他、アオガキ川沿いの道へ規則的に並ぶ街灯以外に、これといった光はない。日が落ちて視界の悪くなったゲート前に目を凝らし、様子を窺う。すると、速度を落としたタイヤが砂利の多いアスファルトを踏みしめながら走行する音が聞こえ、続いて照らされる路面と二つのヘッドライトがこちらを目がけて近付いてくる……セダン型の車が一台、ゲートから敷地へ入ってきたのだ。 「まさか……コレを置いてる、マフィアが戻って来ちゃったんじゃ……」 狼狽えた声で大和が言うと同時に、肩を痛いほど圧迫される。 「わからないけど、ここまでロックオンされたら、逃げるにしても、もう遅いよ」 白く強いハイビームが正面から瑞穂と大和を捕え、そのまままっすぐ近付いて来た。そして車一台分の距離を空けて停止した黒っぽいセダンがエンジンを切り、四人の男が降りる。彼らのうち一人はスーツ姿のアグリア人だ。いずれも、顔はよく見えないものの、雰囲気で堅気ではないと瑞穂は判断する。 「マジでヤバイんじゃねえの……?」 大和が小さな声で囁いた。男達がまっすぐにこちらへ歩きだす。 先頭の二人は、カミシロ人の平均身長を超えている、スラリとした若い男達だ。 右側の男は上質な黒い三つ揃いスーツを着ているが、同じく黒っぽいシャツと光沢のあるシルバーのネクタイを合わせ、とりわけ夜間なのにサングラスを掛けているセンスが、まともなビジネスマンとはかけ離れている。身長は百八十センチ近くあるが、間違いなくカミシロ人だ。適度に長さと癖のある黒髪を、甘い香りの整髪料で後ろに軽く撫で付けている。 黒いスーツの男の左側で、やや後ろを歩く男は、更に十センチ以上も背が高い。グレイのスーツに白いシャツ、ダークカラーのネクタイという無難な取り合わせは、ビジネスマンに近い雰囲気を持っているが、同じく黒いサングラスで目元を隠している。短い黒髪は整髪料できちんと整えられており、色白の彫りの深い顔立ちは一見したところ、カミシロ人ともドゥーシェ人とも判断出来ない。 彼らのすぐ後ろを歩く男は、リーゼントにスカイブルーのスカジャンという、わかり易いほど典型的な下っ端チンピラの装いだ。ただ一人サングラスを掛けておらず、百七十センチもなさそうな小柄で貧弱とも言える体格と、前を歩く二人の男たちの間から、キョロキョロと前方を窺う立ち振る舞いはまだ幼く、その頬はニキビ痕も消えていない。 三人の後ろを歩く、ひときわ大きなアグリア人だけが、唯一瑞穂の知らない男だった。目尻の吊り上がった双眸を、メタルフレームの四角い眼鏡で覆い、きっちりと閉じられた大きな口と、肩頬に笑みを浮かべた不敵な表情は、男が切れ者であることを窺わせる。剛毛の焦げ茶色の頭髪は、前の二人と同様に整髪料で品良く撫で付けられ、ダークカラーのビジネススーツは仕立てが良く嫌味がない。唯ひとつ、濃い体毛で覆われた左の手首に巻いている、有名なブランドの目立つ腕時計だけが、見入りの良さを窺わせた。 先頭の男が一歩前に出る。同時に大和が、躊躇いがちな動きながら、瑞穂を庇うように前へ出たが、右手は瑞穂の肩を強く握り締めたままだった。 「……こんなところで会うとはな」 先頭の男が言った。声には微かな苦笑が混じっており、それが目の前で自分を庇おうとする大和の、実直さと気の弱さを嘲笑するものであることが瑞穂にはわかった。同時に、肩に置かれた大和の手から力が抜ける。 「志貴……?」 遅ればせながら、前に立って彼を威圧していた男の正体が、大和にもわかったようだった。 男がサングラスを外し、優雅な手付きで胸のポケットへ仕舞う。そして大和の手に持つ朧な光源が、志貴の整った面を露わに照らしだした。隙のない視線をまっすぐに向けられ、瑞穂は固唾を呑み込む。 兄弟の顔立ちはとてもよく似ている筈だが、瑞穂はこれまで一度として、初対面の相手からそう言われたことはなかった。二人と何度も接し、やがて思い出したように、皆、口にするのだ。……そう言えば、お兄さんとよく似ているね、と。 その理由は、もちろん年が離れているせいもあるだろうが、何より瑞穂と志貴の性質がまるで違うからだろう。理知的で武道に秀でており背の高い志貴は、母親譲りである生来の優美さに加えて、後天的な強かさとしなやかさを兼備しており、華やかでありながら精悍な美貌を見る者に与え、圧倒していた。それは瑞穂にはない特徴で、尚かつ妬ましさの対象でもあった。 「なるほどね。相変わらず碌でもない商売してるってわけだ」 「おい、瑞穂……」 挑発する瑞穂の肩へ置かれた手に、再び圧力がかかる。睨みあう二人の間に挟まれた大和は、兄弟の諍いを歓迎しなかった。 「わかっているなら話が早い。瑞穂、そこにあるものは、S&Kプランニングが正式な売買契約を経て購入したものであり、保管している財産だ。この不動産は、現在、西湖ニットより我々が所有権移転手続きを進めており、近い将来S&Kプランニングの名義で登記される。悪いことは言わないから、この敷地から早急に去った方がいい」 志貴の後ろに立っていた、グレイスーツの長身が言った。サングラスを外さなくてもわかってはいたが、発言を聞いた瑞穂は、彼が志貴の高校時代からの親友であり、瑞穂と大和から志貴を奪い、現在に至るまで兄に寄りそう男、斐伊川賢であることを確信する。男の面からサングラスが外され、夜目にも色白な容貌が露わとなった。 ドゥーシェ系アルシオン人を父親に持つ賢の本名は、ケネス・ヨーゼフ・ゲッベルス・ヒイカワという。彫りの深い顔立ちと、灰色の瞳は、明らかに白色人種というほどではないものの、単一民族であるカミシロ人の中では目立ち過ぎ、浮き立って見えていた。加えて賢は生来物静かで生真面目な性質であり、心ない誹謗中傷や理不尽な攻撃へ、進んで対抗する少年ではなかったため、小学校へ上がる頃から苛めの対象となって、中学卒業までじっと耐えてきたという。そんな賢を庇護し、彼の人生を大きく変えたのが、高校で出会った瑞穂の兄、志貴だった。志貴とともに優秀な成績で帝大法学部へ進学した賢は、在学中に司法試験へ合格し、弁護士資格を得た。現在はS&Kプランニングの専任弁護士である。 「手続き中ならまだS&Kの土地ってわけじゃないんでしょ? だったら、俺達がここにいても問題ないじゃない」 「だが、現在はもっぱら我々が利用しており、事実上管理をしている。西湖ニットもそのことを了解している状態だ。しかし、君達はただの侵入者に過ぎず、我々はそれを歓迎しない。……これは警告だ。瑞穂、ここから出て行ってくれないか?」 あくまで賢が穏やかに話を進める。 「断ったら?」 「それはないと俺は信じる。なぜなら、我々には君達の背後に保管されている所有財産を自由に使用する権利があるからだ」 「警告じゃなくてそれじゃあ脅迫だ。だいたいここにあるのは、アルシオン軍の横流し品じゃないか。表沙汰になったら困るのはそっちでしょ。弁護士がこんなことに関わっていいの? 協会が知ったら資格剥奪されるよ」 「瑞穂……マズイって」 すっかり賢の脅迫に怯えた大和が、好戦的な瑞穂を止めようとした。 「……君はもう少し想像力のある子だと思っていたよ」 賢が微かな苦笑を滲ませる。そして志貴が大きく口元を歪ませ、腕を組むと、目の前の弟を睥睨した。 「悪いな、賢。弟は真面目に勉強してこなかったから、俺と違って少々オツムが弱いんだ」 「五月蝿いよ。とにかく、俺達はここを出て行く気はないからね」 「おい瑞穂。お前と大和の二人で、本気で俺達に勝てると思っているのか? そこの坊やは昔っからお前の王子気どりだが、口ばかりが威勢よく、腕っ節はさっぱりだと俺は記憶してるぞ」 「ちょっ……、ちょっと志貴ッ……?」 からかわれて大和が、慌てた声を出す。見てはいないが、その顔が真っ赤であろうことは、声からだけでも充分に想像が出来た。 「じきに真達が帰ってくる。そうしたら四対四だ。それに俺も大和も、昔とは違う」 「四人……なのか?」 瑞穂にだけ聞こえる声で言いながら、振り返った大和が、明示された人数を復唱して確認した。男である自分や瑞穂はともかくとして、悠希をカウントしたことに呆れているようだ。だが、四人という数字自体には間違いない。確かに小柄な少女である悠希を、肉弾戦の戦闘員としてカウントすることには問題があるかもしれないが、それを言えば、瑞穂も、目の前の大和ですらも、志貴達の前では子供のようなものだ。何しろ、相手は暴力団である。 「大八島総合病院のガキか……アイツは確かに、少々腕は立つが……ってことは、お前ら本気で俺達とやるってことだな?」 志貴が一層低い声で念を押すと、今までじっと後方で控えていたリーゼントの男、紀ノ川リュウ(きのかわ りゅう)が、まるで自分が志貴を護るとでも言うように、大きく一歩前へ進み出た。リュウはヨミザカ出身で、中学卒業後にS&Kプランニングへ入った少年だ。子供の頃から一心会を見て育ち、志貴に憧れて入社を希望したという、筋金入りの志貴信奉者である。体格は小柄だが、リュウは見るからに血の気が多そうだ。 大和も瑞穂を背後へ押しやるように、目の前を塞ぐ。志貴達が相手では勝ち目はないだろうが、相手が小柄なリュウなら話は別と言う事だろうか。 「あんた達一体何してんの」 不意に諍いを咎めるような声が聞こえ、一行は振り返った。セダンのすぐ後ろに、スーパーの大袋を二つずつ提げた真と悠希が、不安そうな佇まいで瑞穂達を見守っている。悠希はすぐ目の前のアグリア人に気が付くと、真の後ろへ隠れるように移動した。そんな悠希の行動を意に介さず、アグリア人が口を開く。 「あなたが、彼らのお仲間である大八島総合病院のご子息ですか?」 風貌に反して理知的な声音に、瑞穂は少し拍子抜けする。真は苦笑を漏らすと訊き返す。 「子息じゃあないけど、何の用?」 その後、アグリア人は状況を説明した。 アグリア人の名前はイナン・オッセ。ブリュン統一連合会、通称『ブトウレン』というアグリア人組織のトップだ。カミシロにアグリア人マフィアは複数あるが、ブトウレンはその中でも所謂、経済マフィア的な存在として知られており、警察幹部にも顔が利く。そして瑞穂達が見付けたAM16やAM67は、オッセ自らアルシオン兵と取引を交わして手に入れた武器で、それをS&Kプランニングが買い取り、この廃工場へ保管していたものだった。 「ここはS&Kさんの管理地です。だから私も取引に応じたわけですが、少々S&Kさんの方で手違いがあったようで、その間に君達が敷地に入ってしまったというわけですな」 「オッセさん、勝手な話をされては困ります。……とにかく、俺も出来れば争い事は避けたい。真君、君からひとつ瑞穂達を説得してくれないか?」 オッセの話を引き継いだ賢の声は、珍しく焦っていた……いや、怒っているのだろうか。目の前に立つ大和より、肩幅の分だけ横へ視点をスライドすると、瑞穂は彫りの深い目元を注意深く見つめた。 勝手な話……とは、おそらくS&Kの手違いとやらのことだろう。考えてみれば、明らかにアルシオン軍からの流出品である武器が、監視もいない状況で放置されていること自体が不自然だ。つまり、この武器を巡って志貴達の間で、何事か予定にないトラブルが生じ、それを部外者へ口外されることを賢が嫌ったのだ。 口を滑らせかけたオッセは、軽く目を丸くしてみせると、そのまま沈黙してしまう。諌めた賢からも、それについて詳しく知ることは出来ない。今これ以上探ることは難しいが、ただ、武器売買についてS&Kは、少なくとも落ち着いた取引状況でなかったことだけは窺い知れると瑞穂は理解した。 「わかりました……けど、実はこっちも今朝、拠点にしてた場所から叩き出されたばっかりで、行き場がないの。……武器については、私達がどうこう出来ると思っていないから返します。けど、次の拠点を見付けるまでだけでいい……、ほんの片隅でいいから、私達を置いて貰えませんか」 そう言うと、真は静かに頭を垂れた。 「真……」 大和が目を瞠って真を見つめる。隣の悠希も真に倣い彼らへ頭を下げた。 「お仲間はこう言っているがどうする気だ? 女達に頭を下げさせて、お前は黙っているのか」 志貴に言われ、苦々しい思いで瑞穂は奥歯を噛み締める。武器さえ手に入れば、自分達にも戦う準備が出来ると思った。それも目の前の小銃や手榴弾は、元々はアルシオン軍の流出品であり、それを違法に志貴達が手に入れたものだ。ここへやって来たことにしたって、よもやS&Kが不動産取得手続きを進めている用地とは知らずに入ったまでだ。それを、相手が性質の悪いゴロツキであるばかりに、不要に脅され嘲笑されて、なぜ情けを乞う必要などあるのだろうか。納得出来る筈がない。真なら戦えば勝てるかも知れないというのに、どうして真っ先に頭を下げたのだろう。 「瑞穂、ここは折れちゃおうぜ」 「大和……ッ」 瑞穂が止める間もなく、大和までもが頭を垂れてしまう。仕方なく、瑞穂も仲間に倣った。 「ふん……せめて見栄ぐらいは、もう少しあると思ったが、オツムが弱いばかりか、案外安い頭だったな。いいだろう、交渉の決着がつくまでの間は好きに使え。ただし、俺や賢にお前らを保護する義理はないから、西湖ニットから出て行けと言われたら、自分で何とかしろよ」 それだけ言い放つと、志貴達はそのまま車へ戻る。すぐに帰るのかと思えば、リュウだけが外に残り、他の三人は車内で話し合いを始めたようだ。瑞穂が目を凝らしよく見ると、助手席に座した賢が誰かに電話を架けている。 「これってさ……一杯食わされちゃったんじゃないの? よく考えたら、ここはまだ志貴達のモンじゃないし、あれってもしかして、西湖ニットに連絡しててさ、俺達のことさっそく追い出しにかかるんじゃないかなぁ」 大和が情けない声を出す。仲間三人から早々に裏切られた瑞穂としては、今頃何を言っているんだと言いたかった。 「あんた達、本気でアイツらとやり合うつもりだったんじゃあないでしょうね」 買い物袋を提げたまま真が言った。辺りはすっかり夜の帳が降りているが、それでも表情が極めて厳しいことは、瑞穂にもわかった。 「どうして頭を下げたりしたんだよ」 逆に瑞穂は、咎めるように訊きかえす。真のレベルであれば、それなりに戦えた筈だ。少なくとも、ある程度のダメージを与えることは出来ただろう。だからこそ、当の真が早々に降参したことが、瑞穂には悔しくて仕方がない。 「勝てるわけないからに決まってるじゃない。だいたい、ここはアイツらの場所で、後ろの武器はアイツらのもの。私達はたまたま、この場所へ入って来た、何の権利もない立場でしょう。張り合う理由がどこにあるっていうのよ」 「けど、頭下げる必要なんて、なかったじゃないか……、見損なったよ、真。プライドはないの?」 「よせよ、瑞穂……そこまで言う事じゃあないぞ」 「プライドを守る為に、みすみすあんた達に怪我をさせるぐらいなら、いくらだってそんなもの捨ててやるわよ。……悠希、悪いけど手伝ってくれる?」 「はい、真さん」 女二人は夕食の準備をする為に、買ってきた食材を部屋へ運んだ。残された大和は、所在なさそうに髪を掻き回していたが、それでもこの幼馴染は瑞穂の傍らを放れようとはしない。その気持ちが嬉しかったが、気不味くもあった。 「まあさ……真も俺達を守ろうとして、仕方なくああしちゃったわけだし、それで収まったんだから……」 真なら戦えた……自分で対処が出来ない癖にそう主張するのはお門違いだろう。それはわかっていた。そして真が昼間アルシオン兵と格闘をして、足を痛めていることもわかっている。それでいて真の戦闘力を頼りにする瑞穂自身が、男としてどれほど情けないかも自覚していた。志貴でなくとも、自分など嘲笑されて当然なのだろう。 「他力本願の癖に何言ってるんだって……本当は大和だって、そう思ってるんでしょう?」 「んなことねえって……俺だって喧嘩弱いから、言えた義理じゃないしさ。ただ、まあ……真がああ言った以上、あの場で俺達に出来たことなんて、素直に降参しちゃうぐらいかなあって」 「かもね」 わかっているのだ。しかし、武器があれば勝てたかもしれない……その思いだけは、モヤモヤとした心の奥底で、相変わらず燻り続けている。血を分けた兄にさえこれほど簡単に折れて、それでどうやってアグリア人やOGPと戦うというのだ。自分達にはそんな能力も、推進力も、財力もないと諦めることは簡単だ。だが、それでは立ち上がった意味はない。己の無力と掲げた目標のギャップに苦しみ、ここまでさんざんもがき続けていた。その差を埋め、現状を打破出来るかもしれない道具を、たった今、目の前で見付けたかも知れないのだ。 正論を言えば、あの武器に対して瑞穂達は無権利だ。しかし志貴達とて違法な手段を講じて入手した武器であり、この廃工場に至っては、現状なんの権利も持ってはいないのだ。 正論だけを唱えていて何かが変わるほど、今の時代は甘くない。法の支配など幻想であり、弱肉強食こそが世の理で、共通の国際感覚だ。カミシロは世界に正論と正義を訴え続けたからこそ、アルシオンの占領下に置かれ、守ってやった筈のアグリア人達にさえ蹂躙されている。それなら、意識を変えるしか生き残る道はない。瑞穂はそう考えていた。 05 |