「食事の準備なんて言うから、カレーでも出て来ちゃうのかと思ったら、スーパーの惣菜とはねぇ……」
 言いながら大和は、目の前に盛り付けられた紙皿からチキンナゲットを取り上げ、口へ運ぼうとした。
「文句があるなら、カレーを作ることが出来る火と鍋を準備してください。そしたらいつでも作ってさしあげます」
「あっ……おい、それ最後のチーズ入り! ……つうか、物置きにカセットコンロあったじゃないか、あれで火起こすんじゃなかったのかよ。それに、カレーってのはキャンプの定番メニューだろ。石で竃を作って、その上に鍋置いたり、吊るしたりして、ザックザクに切った野菜や肉ブチこんで、バキバキ折ったルー突っ込んでさ、煮だったら飯盒のご飯にぶっかけて食べちゃうのが美味いんじゃん。ちょっと焦げ目とかあったりしてさあ、水加減も味付けも目分量だから、なんとなく薄味で、ウスターソースで調整したりして。……ああ、畜生、どうしてもカレー食いたくなってきちゃった」
 そう言いながら、チーズ入りナゲットを横取りされた大和が、バクダンおにぎりを握りしめてパクリと噛みつく。
「そんな不味いカレーが食べたいなんて、まるでマゾですね。だから、鍋がなかったって言ってるじゃないですか。スーパーの日用品売り場が、もう閉ってたんです、仕方ないでしょう。コンロがあることは、知らなかったですけど……バーナー買って来て損しちゃった。……っていうか、さっきの話だと、ここは近いうちにあの人達が来るんですよね。早いうちに別の場所を探さないとダメなんじゃないですか? ところで、これはキャンプなんですか? 室内ですけど……」
「バーナーはどこかで使う機会あるだろうから、あったって別にいいんじゃね? まあ、いつかは移動しちゃわないといけないだろうけど、さっきの感じだと明日すぐにって話じゃなかったし、急がなくても大丈夫だろう。……瑞穂ちゃんと食べてるか?」
「うん」
 大和に問われて瑞穂は曖昧に頷く。
 あれから間もなくトラックがやって来て、目の前にある武器は全て工場から運び出されてしまった。それを見届けた志貴達は、何も言わずにトラックを追って出て行った。車で電話を架けていた賢は、この手配をしていたのだろう。
 いつまでに出て行けとは、確かに通告されていない。それに行く当てもない瑞穂達は、暫くここに留まるしかない。もし武器の受け取りがあった為に、瑞穂達を追い出したかったのだとすれば、今はそれほど移動を急ぐ必要もないだろう。万一、再び出て行けと言われたなら、今度こそ戦えばいい……そう考え、瑞穂は割箸を持った右手を腹に押し当てる。握られた利き手の拳は強く結ばれていた。
「具合が悪いの?」
「え、そうなのか?」
 隣に腰を降ろしている真が、俯き加減の瑞穂の横顔へ、注意深い視線を送る。向かいの大和も、おにぎりを握り締めたまま、机の向こうから身を乗り出した。
「いや、そんなことない。大丈夫だよ」
 二人を安心させると、瑞穂は拳を解いて食事を続けた。しかし、その意識は隣の物置へ向かったままだった。
「顔色よくないわよ」
 箸を口へ運びながら真の声を聞く。ミートボールを咀嚼した瑞穂は、口元に笑みを作ると真へ問い返す。
「蝋燭の火で顔色なんてわかるの? ……本当に平気だって」
「だったらいいけど」
 そう言うと、真はペットボトルに残った半分ほどの緑茶を、ゴクリゴクリと飲み乾した。
 そして、その晩、真の懸念は現実のものとなった。翌日は学校だという大和は、結局食後に自宅へ戻り、真と悠希が同じ部屋へ収まって、瑞穂は六畳間に一人で眠りについていた。腹痛は無視できないほどに酷くなり、何か悪いものでも食べたのかと思って、何度もトイレへ立った。トイレは汲み取り式のものが、工場の外壁に接して建てられており、今現在、屎尿の回収が行われているのかは疑問があったが、それを気にしている精神的余裕はなかった。深夜に真が様子を見に来て、大丈夫だと伝えて追い返す。出すものを出し、一時的に痛みは収まったが、再びしつこい腹痛が戻って来てしまい、結局朝まで大して眠れはしなかった。
 夜が明けて、断続的に襲ってくる痛みの波が引くのを待ってから、与えられた寝室を後にする。休憩室を覗くと、封の解かれたスナックパンが一袋と無糖の缶コーヒーが置いてある。一食分であることから、おそらく自分のものだろうと判断し、それらを腹へ収めてから下へ降りてみた。いつのまに作られたのか、物干し場に女性二人のものと思われるシャツと下着が干してあり、目のやり場に困った瑞穂が視線を彷徨わせる。
「起きて大丈夫なんですか?」
 振り返ると洗濯籠を持った悠希が、細い通路の向こう側から歩いて来た。どうやらその先に、水場があるようだった。とはいえ、廃工場に水道が引かれているとも思えない為、公園か近隣施設の水道を拝借したのだろう……そんな場所で若い娘が、自分達の下着を洗濯している、シュールな光景を思い浮かべて反応に困る瑞穂だった。
「うん。……ええと、大和は学校だとして、真は?」
「真さんならご自宅に行かれましたよ。……あ、帰って来たみたいです」
 悠希の視線を辿り、工場へ入ってくる真を見付ける。手には小さな紙袋を持っていた。
「瑞穂、大丈夫なの? はい、これ」
 手渡された包みを瑞穂は受け取った。
「ちょっとましになったから……ええと、これは? っていうか、真また家に帰ってたって聞いたけど」
 袋を開けてみると、白い錠剤が入っていた。薬は箱から出された状態で名称はわからない。
「痛み止め……一般的な薬だから、とりあえずの緩和にはなると思うけど、飲んでも全然ましにならないようなら教えてくれる? ご飯は食べた?」
「うん……っていうか、真、これってもしかして大八島総合病院から持ち出したの? それってマズイんじゃない?」
「まあ、マズイでしょうね。……一応私の生理痛ってことにしてあるから、問題にはならないと思うけど」
 顔をかすかに赤くしながら真が打ち明ける。それ以上話を続けさせるのは気の毒のように感じ、瑞穂は素直に痛み止めを服用した。一般的な鎮痛剤ということであったが、効果は抜群であり、一時間後には普通に動けるほどにまで回復していた。
 昼頃になり、学校を終えた大和が、大きな荷物を抱えて工場へ戻って来る。段ボールを開封すると、太陽光発電システムだった。
「戦時中に親父が買っちゃったって言ってたの思い出してさ……型は古いけど、パワーは中々のもんらしいぜ」
 日当たりの良い場所を探してソーラーパネルを設置し、バッテリーやインバーター等と結線する。瑞穂も配線を手伝い、一時間程度で発電システムを構築させた。これでどうにかプレハブに電気が灯せそうだ。
 少し遅れて皆で昼食を摂る。食卓には例によって悠希と大和の賑やかな会話が飛び交っていた。議題はこのあと、鍋を買いに行くか、それとも次の基地となるべき場所を探しに行くかだ。基地探しについては、せっかく発電システムまで完成させた直後であり、バッテリーも充電出来ていない段階で、検討するべきテーマではないという理由から、提供者の大和が強行に反対している。配線を手伝った瑞穂も反対に一票を投じておいた。
 不意に沈黙を保っている隣が気になった。真の取り皿が綺麗なままであり、どうやら食が進まないようだ。
「どうかしたの?」
 瑞穂が尋ねると、ハッとした様子で真が振り返り、弱々しい笑みを見せながら首を左右に振る。
「なんでもない。あんまりお腹空いてないだけ」
 そう返答すると、手元の緑茶を一口飲む。
「だったらいいけど。……ひょっとして、真もお腹が痛いんじゃないの? あれって、自分のその……」
 生理痛という言葉を口にして良いものかどうか躊躇い、口籠っていると、真が目を見開き少々顔を赤くする。
「違うって、馬鹿。そう言えば、あんたはもう大丈夫なの? 平気そうにはしてるけど」
「お蔭さまで。あの薬凄く効くね、びっくりした。俺はもう大丈夫だから、真が調子悪いなら残り返すよ?」
「だから、そうじゃないって。……そう、効いたんだ。なら、よかった」
 思案げに呟くと、真はペットボトルを握りながら、再び沈黙に戻る。何かを悩んでいるようにも見えた。
「無理には言わなくてもいいけどさ……なんか問題あるなら、話聞くよ? まあ、俺なんかに相談しても、仕方ないかもしれないけど」
 やや投げ遣りに言葉を結ぶと、瑞穂は大皿に箸を伸ばし、昨夜の残り物である惣菜を口へ運んだ。大きな口を開き青海苔が掛かっている竹輪の天麩羅に噛みつく瑞穂の横顔を眺めて、真は小さく笑う。
「ありがとう……。ただね、私の気のせいかもしれないから」
 苦笑混じりに前置きをすると、真は実家の病院で見聞きし、感じた異変を瑞穂に打ち明けた。


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