東の方から明けゆく空をぼんやりと眺める。
峻は紅葉に言われたことを頭の中で整理していた。
美しいあの兄弟のこと、志貴という人のこと、彼が『ティアモ』の従業員全てから想いを寄せられていること……すなわちそれは、レンが未だに、彼のボスを好きであると意味している。あれほど美しい人なら、それも無理はない話だ。
大和を碌な男ではないとも紅葉は言った。紅葉が大和を知っていることは、彼らのボスがあの美少年と兄弟である事実を考えると、それほど驚くことではないだろう。紅葉には、峻が大和に振られて正解だと言われたが、昼間はあれほどショックだった、マホロバ駅前交差点で見た光景が、どういうわけかあの美しい志貴という男を目にすると、大したことではないような気さえ今はしている。
そしてあの綺麗な男とレンは、毎日顔を合わせ、彼の下でレンは仕事をしているのだ。その現実が何よりも、峻を大きく打ちのめしていた。
「ハハハ……なんだよコレ……俺ってばとっくに……」
目の前に車が止まる。タクシーだ。中から誰かが出てこようとしている。
「本当にここでいいのかい? おうちまで送っていくよ?」
「いいの、お店に忘れ物しちゃったから。ありがとう」
賑やかな会話は、彼らが夜通し呑んでいたのであろうバーかスナックからの帰りであることを窺わせた。そう言えば先ほどもこの場所には車が停まっており、中から『ティアモ』のあの綺麗なボスが出て来たことを思い出す。ここは車の乗降が多い場所なのだろう。
「またすぐに呑みに行くよ、エーファちゃん」
「待ってるねえ。今日はありがとう」
中から出てきた女性は、タクシーが去って行くまでその場で立って同伴者を見送っていた。車が見えなくなってからヒールの細い足元を回転させて方向転換すると、路地へと消えて行く……その先には『ティアモ』がある。
「あの人もキャバ嬢なのかな」
随分と露出の多いドレスを着ており、金髪に染め、綺麗にカールさせた髪を揺らしながら、意外としっかりとした足取りで歩いて行く。なんだかキラキラと光るカラフルなアクセサリーを思わせるような、ポップで可愛い女性だ。その華奢な後ろ姿をぼんやりと峻は見送った。
この商店街に夜の店は少なくない。あるいは『ティアモ』のホステスかとも思ったが、さきほど紅葉がすでに閉店しており女性達は帰ったと言っていたから違うだろう。ならば、この商店街にある他の店か、あるいはここが家への通り道なのかもしれない。まあ、ホステスのことなどどうでもよい。
少しずつ明るくなっていた視界が不意に閉ざされ、峻は顔を上げる。
「なんだぁ〜……珍しくこんな時間に、えらく可愛いコちゃんがいると思ったら、食堂のガキじゃねえか」
「え……」
前に立っているのは、いずれも2メートル前後ある長身で、アグリア人だとすぐに峻はわかった。相手は3名……いつのまにか目の前を塞がれている。逆光で顔は見えないが、声は覚えている……いつか『ひもり』で母を脅していた男。確かパジュという名前だ。
咄嗟に峻は立ちあがり、自宅がある路地の方向へ逃げようとして、すぐに取り押さえられた。
「おいおい、随分とつれないじゃねえか。暇してんだろう? 俺達と遊ぼうぜ」
「放せっ……」
「てめっぇ……こら、待ちやがれっ」
身を捩り、拳を振りきって逃げようとしたが、強く拘束されて掌で口元を塞がれた。鼻ごと覆っている圧迫が呼吸を困難にし、顔に血が上る。息が苦しい……。
「リモン、足を持て」
峻を捉えた作業着の男が命令し、アロハを着たやや小柄なアグリア人が峻の両脚を捉えて抱え込んだ。
「むぅーっ、んーっ……!」
拳や肘を相手にぶつけることはなんとか出来たものの、足を拘束され、地面から放された状態では、大した効果がない。
そうしているうちにますます息が苦しくなる。せめて呼吸だけでも楽にしたくて、今度は口元の圧迫を引きはがそうとする。しかし、剛毛に覆われた大きな手は、峻が叩いても、引っ掻いてもビクともしなかった。徐々に頭がぼんやりとしてくる。その手を捉えられ、間近に顔を覗きこまれた。
「夜中だってのに元気がいいガキだな。だったら俺達の相手ぐらいどうってことねえよな」
狂気じみた笑みを浮かべ、獰猛なアグリア人が吊りあがった目を細めた。
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