『青い果実』
ダンボールからとり出した青い果実を流しの底から一本手に取った。ひんやりとしたそれは、すっぽり掌に収まり、艶やかな表面が窓から差し込む西日を受けてきらりと光る。しっかりと果肉が詰まった印象は、喩えるなら大ぶりの林檎ぐらいの重さと、育ちすぎた茄の大きさだろうか。ほのかに漂う芳香は甘すぎもせず瑞々しい。
「ピタスモモ……で合ってるのかな」
同梱の納品書に書かれている商品名は、カミシロ語でもアルシオン語でもないが、勘だけで読めなくもない文字列だ。輸入業者はカミシロ人で、俺は聞いたことがない個人名……根拠もなく犯罪じゃないだろうかと穿った考えが頭を過った。
知る限りに於いて、カミシロの量販店等では、殆ど流通していない。この珍しい果実を送ってくれたのは、懐かしい友人のセレブリティだ。しかし、箱へ入っていたのは五個の細長い青い本体と伝票のみで、馴染みない果実に関するなんらのヒントもありはしない。
「まったく、真も手紙の一枚ぐらい入れてよね……」
知己の中では比較的、丁寧な気質を持っている友人の大八島真(おおやしま まこと)は、首都マホロバで二番目に大きな総合病院の院長令嬢だ。彼女と知り合ったのは、今から約二十年ほど前で、兄の志貴(しき)が現在は弁護士の悪友とつるむようになり、俺、秋津瑞穂(あきつ みずほ)や幼馴染の大和(やまと)を、あまり相手にしてくれなくなったことがきっかけだった。三歳年上で活発な真を、その性別判断困難な名前のせいもあって、志貴にとって代わる兄貴分のように慕っていた俺達は、あるとき月の物による影響で不調を明かす本人の訴えにより、漸く男ではないと知った。そして、公衆の面前で生理痛を声高に冷やかされた思春期の真は、デリカシーに欠けるその発言者に回し蹴りの制裁を与える程度の体力と俊敏さを兼ね備えていた。もっとも、当時五歳だった大和が、傷付きやすい乙女心に対する配慮が欠けていたことを責めるべきなのか、幼児にして月経を知っている頭でっかちな性知識に瞠目すべきだったのかは、今もって判断に悩むところではあるが、いずれにしても、成人から数年の月日を数える今も、本人の軽はずみな言動は、幼稚園児のころからさしたる変化もない。
ともあれ、そんな旧知の女友達も今では、反目していた父親の意向に沿った通りに白衣の天使となった。もっとも、俺とほぼ同じ175センチある高身長と、しなやかで強靭な筋肉が鍛えられた肉体に、相変わらず化粧っ気のない、それでいて端正な顔立ちを持つ真は、職務に求められる機動性を重視してパンツスタイルの白衣を身に纏い、受け持つ病棟を活発に駆け回っている。三十路を遠からぬ未来にして、未だ独身を守る、見目麗しいこの白衣の天使が、女性入院患者は固より、同僚ナースの間でさえ、先を争って恋人希望の立候補者を相次がせ、また死屍累々と夢破れた敗残者を生み出している近況は、彼女の小柄な恋人による報告メールによって、定期的な怒りとともに滞りなく伝えられている。縁結ばれず、浮気にさえも至っていないなら、それでいいではないかと、とりわけ俺などは思うものだが、そう返すごとにに「瑞穂ならわかってくれるでしょう?」と、さらなる同意を求められて、強制的に理解を示させられずにはいられぬ結果となる。
確かに、異性、あるいは異性という勘違いによって恋愛関係を求めてくる同性に、職業柄数多く囲まれる魅力的な恋人を持つ身としては、この小さな悩める乙女の扶桑悠希(ふそう ゆうき)と俺は同じ環境だろう。しかし、それぞれの恋人は結果、或いは性質が正反対で、真は実際に浮気などしない誠実さと信用を兼ね備え、大和は前科を数え出したら、腹が煮えくりかえって眠気が吹っ飛ぶ段階を超越して、そのカウントにも飽きてしまいいつの間にか眠気が訪れて就寝できてしまう……つまりとても人類がその手にした技術でも駆使しない限り、とても数え切れるものではないほど多いということだ。
高校生からアルバイトで始めたモデルを、退学のきっかけにもなったアルシオンでの俳優経験を機会に本業として活躍中の葦原大和(あしはら やまと)は、浮名の枚挙に暇がない恋多き芸能人の一人でもある。殊に結婚適齢期となった今は、芸能記者がもっとも目を離せない一人だろう。隠し子騒動も、知る限りに於いて片手の指の数を二、三本超えている……そのうちの何本が本物かは、実のところ同棲中の俺もよくわかりはしない。
こうなることは目に見えていたのに、それでも六年前、大和を選んだのは、生まれたばかりの志穂(しほ)を抱えて途方に暮れている俺を、母子共に受け入れてくれたからに他ならない。志穂の誕生を喜んでくれる筈だった子供の父親であり、兄の志貴とは、あの朝仕事に出掛ける彼を家から見送ったきりだ。悪友の弁護士とともに消息を絶ち、六年間二人の行方は杳として知れない……結局兄は俺ではなく、悪友を選んだのだろう。捨てられたと知って絶望していた俺を、手酷く裏切られた筈の大和は、母子揃って彼のマンションへ置いてくれた。芸能活動が軌道に乗り始めた彼にとって、付き纏うスキャンダルのリスクも顧みずに……それだけで充分だった。
「それにしても、これってどうやって食べるんだろう……」
目の前に意識を戻す。ダンボールにゴロンと転がる青い果実の名は、恐らくピタスモモ……モモ、あるいはスモモというからには食用で合っているのだろうと思うが、恐らく名称がカミシロ語ではない。それでも表皮から漂う甘い芳香は、瑞々しい果物を連想させる。真にしては手抜かりなことに、なんらの説明もなく送りつけられている宅配便を前にして、無駄に首を捻っていても埒が明かないと漸く気が付き、サイドテーブルから充電中のスマホを引き抜いた。そしてブラウザを起動させると、伝票の印字通りに「pitasmomo」とアドレスバーへ打ち込む。すぐに数十万件の検索結果が表示され、トップに上がっているユーザー編集型百科事典サイトへ移動する。ここにはカミシロ語のページもあるにはあったが情報が少なく、ピタスモモがソヴェティーシュ原産であるユーリアプラム科の果実ということしかわからない。他のページはどれもソヴェティーシュ語かアルシオン語ばかりで、情報は多いがさっぱり理解が出来なかった。
検索結果を画像に切り替える……途端に目に飛び込んだ生々しい写真……間違いなく年齢制限指定の画像へ目が釘付けになる。
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