『聖夜に』
「うわ、最悪……終電出てんじゃん。くっそ、これだから田舎は……」
時刻表を見たユウは天井を仰ぎ見てわざとらしく溜息を吐きながら、頭を掻きむしった。肩まで伸びている茶色い髪が、薄暗い蛍光灯の下で派手に舞う。コンビニのトイレで多少は洗い落としたようだが、まだ、ほのかに鰹だしの香りがする。
「ごめんね……僕のせいで」
3メートルほど後ろから、蚊の鳴くような声がユウへ謝る。振り返ったユウは、一応申し訳なさそうにしているように見える男をきつく睨むと、何かを言いたげに口を開くが、一瞬の間を置いて、小さく息を吐いた。
「歩くぞ」
「え……っと、東京まで?」
「仕方ないだろ、足ねえし」
「タクシー拾うとか、ビジホ探すとか……」
「贅沢言うな。やりたくもねえ営業やった意味ねえだろ。交通費引いたら今日のギャラ2000円だぞ。」
「そのぐらい出すよ、僕が悪いんだし。……300キロぐらいあるよ?」
「昔の人はみんな歩いたんだ。同じ日本人の俺達が歩けないわけない」
「いや、えっと……どこからツッコんだらいいのか……」
「なんだ」
立ち止まったユウが振り返る。
身長こそミキより2センチ低いが、堂々とした佇まいの美丈夫が、鋭い眼差しでミキをグッサリと貫いた。
「いえ、なんでもありません……」
蚊の鳴くような声で返答し、がっくり項垂れるとミキは、暗い夜道をしっかりとした足取りで進むユウの後ろから、3メートルの間隔を空けて追いかけた。
この年、5人体制となったカラーレスは、メジャーデビュー作『5colors』のレコーディングを順調に進行する傍ら、ラジオやイベント出演のために、全国を駆け回っていた。オファーがかかるのはリーダーでピアノ兼メインボーカルであるユウこと、浅間祐樹(あさま ゆうき)のほか、同じくオリジナルメンバーであるギター兼ボーカルのショウこと、穂高昭二(ほだか しょうじ)の組み合わせが殆どだが、口下手なショウがあまり営業をしたがらない。その為、ギター専門誌のインタビューやクリニックのイベントといったオファー以外は、他の三人が分担してこの荷を請け負うことが多かった。事情を聞いた営業先が、それならばと指名するのは、大抵がもう一人のギタリスト兼コーラスであるミキこと伊吹幹也(いぶき みきや)だ。ユウとの組み合わせであれば、即興でライブがし易いという建前だが、ユウに次ぐカラーレスきっての綺麗どころの為、営業効果が抜群で、何と言っても、立ち会うスポンサー担当者の受けが良いという本音があった。
ベース兼コーラスのジンこと大峰仁一朗(おおみね じんいちろう)はギターも弾けるし、ドラムス兼コーラスのコースケこと霧島幸助(きりしま こうすけ)はピアノも弾ける。そもそも、ユウは担当こそピアノとボーカルだが、ドラム以外の楽器は何でもこなせるマルチプレーヤーだから、一人でもライブ演奏は可能であり、カラーレスの売りであるコーラスが欲しければ、あとのメンバーは誰を組み合わせても問題ない。となれば、どうせならミキを……という要望の真の狙いは、綺麗どころ二人を並べたいという下心以外の何物でもない。
この日はレーベル主催のイベントで、地方都市に来ていた。イベントは盛況であり、音楽ライターの本栖皐月(もとす さつき)によるインタビューの他、100名を上回る観客席を埋めたファン達からの質問タイムも盛り上がった。会場に設置がない為ピアノ演奏はなかったが、代わりにギターを持参したユウとミキ二人のツインギターセッションによる、ライブが3曲と、最後はプレゼント抽選で締めくくり、大成功に終わった。
本栖がメインパーソナリティを務めるラジオ番組の収録も同時に行われ、3か月後に発売予定のメジャーデビュー作『5colors』への足掛かりが確かにつかめた一日だった。
収録を終えた二人はレーベルとの打ち合わせを兼ねた食事会の為、移動用のワゴン車へ乗せてもらって焼き肉屋へ。その後、レーベル担当者の行きつけだという近所の手ごろな居酒屋を紹介してもらい、徒歩でそちらへ移動した。本来であれば、そのあと本栖皐月のラジオへ生出演する予定だったが、特番で延期となってしまい、最終の新幹線を予約していた二人は時間調整したかったのだ。
しかし、そこで隣り合った客とトラブルになった。
相手はかなり酒が進んだ男たち。可愛いだの、一緒に飲もうだのと、ミキがしつこく絡まれた。相手は大学生風の若者二人組。適当にあしらえばよいものを、ミキがはっきりしない態度をとり続け、どんどんつけこまれる。このまま置いて行ってやろうかという考えが、何度も頭を過っては消えるが、業を煮やしたユウは遂に立ち上がると。
「しつけえんだよ、ガキども」
得意の声量で大きな声を出し、目の前にあるチェック柄のシャツを掴み上げると、勢いよく拳を振り下ろした。
「ぐはっ……ってえなあっ……!」
間髪入れずにユウが殴り返される。
そのまま喧嘩になり、アルバイトらしき店員がやってくるが若い女性では何もすることが出来ない。相手の同伴者も仲裁に回ってくれたが、チェック柄の男性客もユウも頭に血が上った状態だ。
「あの、もうその辺で……」
「てめえは黙ってろ!」
抑えようとした手を振り払われ、そのまま突き返されて、ミキは椅子から転んで三和土に尻餅を突いた。
「君、大丈夫?」
「あ、すいません……」
近くのおじさん客に腕を引き上げられ、立ちあがる。ふと、カウンターにある物へ目を留めた。
「ごめんなさい、弁償しますから」
「え……?」
02
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