「道路使用許可申請書・・・?」
チョコラテのカップとチューロの皿の隙間へ差し出された、真新しい公的書類を手にして、僕は頭の中にクエスチョンマークが十個ほど並んでいた。
「うん。来週の水曜午後、グランビア通りと夕方から通勤客に向けてソル広場で、それぞれ三十分を予定しているんだ。横断幕を持つだけでいいから、ぜひ篤にも来てもらいたいんだけど・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って・・・まったく話が見えないんだけど」
グランビア通りといえば、ラストロの中心街で公的機関や大企業の本社が並んでいる。一条建設のラストロ支社も、グランビア通りの外れに事務所を構えている。そしてソル広場は、大型デパートに自治政府庁、地下鉄ソル駅の入り口があって、付近の通りにはレストランやバルが多数店舗を構え、世界中のツーリストが行きかう、エスパニアきっての中心地中の中心地だ。道路元標もここにあり、日本でいえば日本橋にあたる場所だろう。そんな場所で、この男は僕に一体何をさせようというのか、今、横断幕と言わなかったか?
中途半端にチューロを宙に掲げながら、のんきなラティーノの顔をまじまじと眺めた。アラサーとも思えぬ童顔で、蒼い双眸が嫌になるほど、純真な輝きを放っている。これが、社内で大々的に造反を企て、十名近い同僚を引き連れ半年前に一条建設へ辞表を叩きつけたばかりか、同業種の起業をエスパニアにおける一条のホームグラウンドのチューファで興し、いずれは僕を社長に祭り上げようと企んでいる厄介人物だから、油断ならない。
要するに、ハビが持ちかける話に、二つ返事で承諾は厳禁ということだ。
「先週末、久しぶりにトニやペペと『ラリア』で飲んだんだけどさ、ほら、あそこの親父ってガリシアーノのくせに強烈なナランヒストでしょ? フローレスの弟が来たってだけで、めちゃくちゃ喜んじゃって、ビールだワインだ、いっぱい奢ってくれたんだよ。そのかわり、終始カルロスを呼べってうるさかったけどね。それにしても、あのムール貝はいつ食べても絶品だね」
「ハビ、悪いんだけど、僕はこれから歯医者の予約があるんだ」
早々に話が猛烈に逸れかけていると察して、強力に軌道修正をかけながら沼のような青い目の前で公的書類をヒラヒラさせてやる。
とりあえず、先週末にハビが碌でもないメンバーで酒宴をしたことだけ了解した。
トニというのは、アントニオ・マルティネスのことだ。僕の同級生で、かつてラケルという女子生徒をめぐって、僕はこの男にクラスメイト達の目前で殴られ恥をかかされた。今は半グレ組織で過激派みたいなことをしていると聞いていたが、どういうわけか、というより、当然にしてハビとウマが合うようで、僕が日本へ戻ろうが中学を卒業しようが、なかなか切れてくれない馬鹿との縁は、頭痛の種のひとつでもあった。
ペペというのは、ハビが話したとおり、チューファのサッカーチーム、ナランハCFのセンターバック、カルロス・フローレスの弟でチューファ大学日本語学科の学生だ。僕にとっては昨年修学旅行でクラスのガイドを務めてもらったよしみもある。おっとりとしていて陽気な青年と認識している。ともあれ、ハビのような危険思想の持ち主やくそトニみたいな直情馬鹿とは、一線を画したまともな大学生の筈で、付き合いがあるとするなら振り回されているかフワフワ付いて回っている以外の関係性が想像できない。石見選手に会ったら、デルビーのときにでもカルロスを介して、「弟さんの交友関係に注意したほうがいいですよ」と助言してもらうべきだろうかと考えながら、ハビの無駄話が終わるのを待っていた。
「というわけでさ、いっちょFDCの前でゴンサルボの馬鹿の首でも落としてやろうと思ってね」
僕は盛大にチョコラテを吹き出しそうになった。
「なっ・・・ゲホッ、ゲホッ・・・」
「いい余興になると思うんだよ。あんな犯罪企業はエスパニア、いや、世界から糾弾されてしかるべきだしね。・・・篤、チョコ垂れてる」
「ムール貝は最高だけど、親父のナランヒスタっぷりには辟易したっていう話と、ゴンサルボの斬首に、どういう繋がりがあるのか説明を・・・いや、そもそも、公開斬首って、中世じゃないんだから、許されるわけないというか、何を使ってゴンサルボの首を切り落とすっていうんだよ? 斧か? チェーンソーか? ホッケーマスクを被ったジェイソンになるっていうのか? っていうかゴンサルボをどうやって連れてくるつもりなんだよ、誘拐でもするのかい? 待ってよ、ドンサルボって父の右腕だよね? パンターノ議員への裏献金がらみで、君がマスコミに機密垂れ流して、君を実質的に馘にした君の元上司だよねえ? 君がソル広場に行きましょうよと呼び掛けたところで、おいそれとゴンサルボ氏が付いてくるとは思えないよ。っていうか、斬首って何? いつから君は砂漠地帯の過激派になったんだい? スコッティありがとう」
ハビから借りたポケットティッシュを一枚とりだして顎を拭うと、僕は漸く一息ついた。ハビ本人は、相変わらずニコニコと見つめ返している。本当に何を考えているのかわからない。そしてこんな男を、なぜわが従兄が恋人にしているのかも理解不能だ。見た目こそ可愛いが、言動が社会一般からぶっ飛びすぎている。
「ツッコミが大量で半分ぐらい聞き逃したけど、本当、ニコのナランヒスタっぷりには辟易するよねえ。あと、途中でゴンサルボがドンサルボになってたけど、誤植と間違えそうだから、一応僕からも突っ込んでおくね」
そういうと、ハビはオープンサンドにガブリと噛みついて、旨そうに咀嚼を開始した。三十秒ほど待って。
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