2.ホテルにて
マルケス・デ・バディージョのロータリーから徒歩十分程度の下町にある大型ホテルのレストラン、『エストレージャ・ベルデ』は、十一月後半のこの日、朝食を求める東洋人の団体観光客でごった返していた。
昨日から急に寒さを増したラストロの街は、公園や街路樹の木々が色を増し、通勤通学を急ぐ忙しない足で踏みつぶされた落ち葉の残骸が、ひっきりなしに靴の下で乾いた音を立てる。
エスパニアはどの都市も街の至る場所に設置されているゴミ箱があるにも拘わらず、倫理観や衛生観念、あるいはその両方を欠落した住民たちが、どこでも平気でゴミを捨てながら歩く。その為、地方公共団体の職員もしくは下請けから派遣された清掃員が、日に三度も町中へクリーンカーを走行させ、美観を保つ努力をする。結果的に、人々の低レベルな道徳観の割に、案外と街は綺麗なものだ。だが、この時期になると大量の落ち葉が路面の三分の一ほどを覆い隠してしまう。自然の産物である落ち葉はゴミと見做さないのか、それとも街路樹が育ち過ぎてしまっているのか。日本の秋も目に鮮やかな紅葉は見ごたえがあるものだが、靴を埋もれさせるほどの落ち葉はそうそうどこにでもあるものではない。乾燥した空気に大量の落ち葉……日がな一日消防車がひっきりなしに走っているのも無理はないと、窓越しにかすかに聞こえるサイレンを聞きながら首をひねってみると。
「何をやっているんだ、あの人」
ドリンクサーバーの前でカップ麺に湯を注いでいる小柄な男を見つけて目を疑う。
「merci」
「いえいえ、どういたしまして」
湯気が立っている日本でもメジャーな、真っ赤なカップ麺を受け取った男から、隣国の言語で礼を述べられて、笑顔で日本語を返した目当ての男が、引き続き僕を見つけて手を振った。
「先に言っておきますが、彼らは我々の同胞ではないですからね」
「ブレイクファーストタイムの開口一番がそれかい? ハハハハ、おはよう、篤君。相変わらず面白いね」
「おはようございます、ハビ。春以来ですね」
僕をホテルへ呼び出した張本人、一条建設チューファ支社の元役員にして我が従兄である一条達也(いちじょう たつや)の愛人、ハビエル・バルケス・モルテの誘導に従い、彼のテーブルへと僕は進んだ。
テーブルには、ガーリックとトマトを刷り込んでオリーブオイルと塩コショウをかけた、エスパニアではメジャーなオープンサンドを二切れ載せた皿があるだけだった。そういえばドリンクサーバーでハビを見つけたことを思い出す。
「あの……カフェ・コン・レチェか何か持ってきましょうか?」
気を遣って、本人がいつも飲んでいるカフェオレをエスパニア語で提案すると、ハッと何かを思い出したような愛らしい顔が僕を振り向いた。
「そうだ、僕はさっき飲み物を取りに行ったんだった。ところが先に来た日本人がドリンクサーバーの操作に悪戦苦闘していて、代わりにカップ麺へ湯を注いであげたんだけど……」
「ええ、わかってます。安心してください、彼らはみんな揃って壁際のテーブルへ向かい合って並び、大好きな激辛カップ麺を満足そうに食べてますから。それと、さきほども申し上げましたが、あれは僕らの同胞ではないですからね、そこは念を押して訂正させて頂きますよ」
壁際のアジア人たちは、彼らの国のカップ麺がよほど好きらしく、どのホテルのレストランで遭遇しても、必ず赤いカップ麺を勝手に持ち込んでいる。言うまでもないが、ホテルのレストランは特別に許可されていないかぎり飲食持ち込み禁止だ。ここで食べていいのは、メニューに記載されている、厨房スタッフが丹精込めて作った料理だけだ。
「あのサーバーはどうやらボタンの接触が悪いらしくてね……。ここはひとつ、僕が持ってくるとするよ。篤君はチョコラテでいいかい?」
質問で文末を綴ると、ハビは返事も確認せずに同じドリンクサーバーへと向かった。これからチューファへ戻った後、夕方一番に歯医者の予約を入れていた僕は、甘味を親の仇のごとく敵視する担当医へなんと言い訳するかを考えるはめになった。
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