『ラストロの憂鬱』


1.ラストロの朝

 卒業を見据えた秋、父の代理でエスパニアの首都ラストロを訪問していた僕、一条篤(いちじょう あつし)は、地下鉄からの乗換の合間に、ふと思い立って王立植物園へ立ち寄っていた。紅葉真っ盛りの植物園は、エスパニアきっての観光名所でもあるプラガ美術館と隣接しているにも拘わらず、見学中にそれほど日本人観光客と出くわすことは多くない。施設の広さは恐らく日本の植物園と大差ないであろうが、植物を観察するというよりも、要所要所へ彫刻や噴水を配し、広大な場所へ小さな庭が複数集められたような造りが、居心地よく精神を鎮め、また、ブロックごとにいくつも足を休めるためのベンチを設置していることもあって、僕は何か考えごとをしたいときに、ときおりこの植物園を訪れていた。
 実家でも自ら世話をしている花があり、僕自身園芸が嫌いじゃないが、ひとつ難を言えば、個人宅とは比較にならない種類を抱えるこの植物園では、主役の花以上に鑑賞するエスパニア人たちが嗜む香水の匂いが凌駕してしまっていることだろうか。僕もフレグランスのたぐいは好きなほうだが、香水愛用者である僕が辟易するほど、エスパニア人の香水はきつい。そのあたりは、お洒落感覚の日本人と、体臭を打ち消すための西洋人の使用方法の差で、どうしようもないのだろうが。


 地下鉄アトーチャ駅の階段を登り、カルロス五世広場に出る。放射状に道が交差している広場から南西を振り返ると、プラガ美術館と並んで名画を多く所蔵しているソシア王妃芸術センターが見え、北上すれば絢爛豪華な噴水が目を引くシリウス広場がある。この広場は、レアル・ブランコの優勝パレードの際、テレビやネット配信、雑誌掲載などで毎回映像や画像が大量に出回るため、世界中のサッカーファンにとっては馴染み深いことだろう。植物園はその道中に位置している。


 午前十時のオープンを三十分ほど経過した植物園のゲートには、先に四〜五人の訪問客が並んでいた。平日の午前中ということを考えるなら、これでも混雑しているほうだろう。タキージャで四エウロを支払いチケットを貰って入場した瞬間に、その理由が判明した。
 先日収穫祭を過ぎたエントランスには、目に美しい紅葉を背景にして、多数の果実を組み合わせた色鮮やかなオブジェが入場客を待ち構えていた。まことに気が利いた演出で、このあたりはいかにも西洋的と言えるだろうが、キャッチーな飾り付けが目を引いたお陰で園内ではたびたび親子連れと遭遇することになった。
 それでも案の定同胞の観光客とは一人も出会うことがなく、そういった日本人にとって穴場スポット的なところが好ましかったのかどうかはわからないが、ここではときおり、お忍びで足を運んでいるらしき、エスパニアリーグで活躍している日本人サッカー選手を発見することがあった。一度目はレアル・ブランコ時代の白川兼陳(しらかわ かねのぶ)選手……その翌年、彼はリーグ下位のカナリアFCへ移籍して、三年後にチューファのナランハCFで活躍することになった。今思うと、あの当時、白川選手も人生の岐路に立たされ思うところがあったのかも知れない。二人目はラストロの近郊ジェタフェで、昨年冬からプレーしている島崎昇(しまざき しょう)選手。彼とは、ラストロの和食レストラン「銀座」や「富士山」でも遭遇した……日本を離れて約一年……きっと彼も故郷が恋しい時期なのだろうと察している。三人目は、やはり元レアル・ブランコで現ラナFCの春日甚助(かすが じんすけ)選手と同チームの東照宮小次郎(とうしょうぐう こじろう)選手。二人は高校サッカーでの先輩後輩の関係でもあり、植物園のトイレの入り口で東照宮選手と目が合いそうになったため、ついでに話しかけようかと思ったが、よく見ると二人は手を繋いでいたため、思わず知らぬふりをして通り過ぎてしまった。確かに植物園は広々としている上、トイレはゲートから一番遠い、園内の奥と、人目につきにくいとはいえ、男二人で手を繋いで薄暗い建物へ入るというのはいかがなものか。ここが故郷の日本ではなく、本拠地チューファでもないからといって、油断しすぎではないだろうか……近々ラナFCの主将である石見由信(いわみ よしのぶ)選手に会ったら、注意してもらうように言っておこうか……などと考えつつ、園内の中央あたりまで歩いてきた僕は、そこから天使の彫像が立っている中央通路の交差点を振り返って目を見開いた。


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