狭いスペースで脱いだ靴を、三和土の隅へ丁寧に寄せた峰は、玄関のすぐ隣へ作りつけてあるキッチンスペースに立ち、流し台の上に掛かっている、薄暗い蛍光灯のスイッチを引っ張った。家主が即座に夕食の準備へとりかかるのを確認しつつ、俺は奥に一部屋だけある6畳間へ、先にお邪魔する。
「おお、一気に片付いたな。さすが祥一君」
この部屋へ前回来たのは、三日前の日曜夜のこと。引っ越し業者の社名入り段ボール箱が、部屋の片隅に寄せられて、まだ二段、三段と積み重なっていた。それらがすっかりなくなって、本棚と恐らくはタンスや押し入れに収まり、同じ場所には空き箱がビニールロープで、丁寧に纏められている。
「お前が散らかっていると捨てゼリフを残して、帰ったんだろ。確かにあれでは、布団も広げられず、何もできなかったからな。……しまった、ライムを買い忘れている。副菜だが、野菜サラダでもいいか?」
「別に捨てゼリフのつもりはなかったし、確かに今は布団を敷ける広さぐらいはあると思うが……俺を引きとめて一体、何をするつもりだったんだ? 副菜は野菜サラダでいいぞ。参考までに、最初は一体、何を作ろうとしてたかも一応訊いていいか?」
「タコライスとサボテンサラダの予定だった。……そうか、レモン汁で代用すればいいな。問題ない、忘れてくれ」
そう言いつつシャツの袖を捲って、医療用手袋をセットした。峰は極端な金属アレルギー持ちのため、どうやら家事中には手袋が必須なのだと、俺は最近気付かされた。
「また、えらいレアなメニューだな……なんか手伝う事あるか?」
手術用手袋でセラミック包丁をあやつり、器用に野菜を刻んでいく峰の隣に立って手元を覗きこむ。一見すると、見るに忍びない哀れみを誘う光景だが、これで何年も台所仕事をこなしてきている男なのだ。
「じゃあ食器を出して、それが終わったら風呂の準備をしてくれるか?」
刻んだ野菜と合挽き肉を、ガラスセラミック加工したフライパンへ放り込み、手早く炒めながら峰が言った。案の定、台所の手出しは無用ということである。
「食器だけ了解したが、風呂は却下な」
「マニアックだな。まあ俺はそれでも構わんが」
「……帰りたくなるから、一方的な解釈は止めてくれ」
「相変わらず、頑なな奴よ。ほれ、味付けはこのぐらいでいいか?」
突き出された匙に齧りつく。酸味と香草の効いた、爽やかなドレッシングの味わいが口に広がり、俺は親指を立てて了承を伝えた。いつのまにかサラダも出来あがっていたようだ。あっという間である。
4月に入ってから、こうした逢瀬が週に2、3回のペースで続いていた。一連の流れはいつも同じ。学校を終えた峰が、『Cappuccino』や俺の家へやって来て誘いだす。今日のようにスーパーでの買い物から付き合ったことは初めてだが、そのまま峰の家へ来たり、あるいはどこかへ寄って、共に夕食を摂るのだ。
学部が違うため、大学で顔を合わすことは殆どない。合同クラスの必修でも、教室が大きいせいか、互いに気がつかないことがよくある。峰から電話やメールで連絡が入る回数は、高校の時より格段に増えていた。
その点では、泰文の英文学科に進んだ江藤里子も、棟で見かけることこそ、ときどきあるが、こちらもまた似たようなものである。江藤もやはり、4月から、メールをしてくる回数が多くなったクチだ。
環境が変わり、大学で新しい友達もまだそんなにいないこの時期、皆どこか心細いのだろう。そう考えると、同じ学科でクラスも一緒になった直江と俺は、まだ恵まれてるのかもしれないと思うが、だからといっていつまでも慣れ合っているわけにいくまい。
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