「くそぉ〜、直江のアホめ〜。次、会ったら絶対にラーメン餃子セット奢らせてやる」
接客態度について、終業後に居残り説教を食らいつつ、俺が未だに商品価格を半分も覚えていないことが途中で発覚し、次回の出勤までに全部暗記してこいと約束させられた俺は、定時から30分以上もオーバーして店を後にしていた。
「よ、遅かったな」
「おっと、峰! お前、来てたのかよ」
従業員通用口から西峰寺の参道筋へ抜け出たところに、『Cappuccino』の煉瓦塀へ背中を預ける形で、ジャケットのポケットに手を突っ込んで立っていた男が、軽く手をあげて見せた。
「ああ。残業か?」
「いんや。それがさー、カレーマンのお蔭で悲惨なのよ。つうか、来てたんなら中入って声かけてくれりゃあよかったのに。そしたら多分俺も助かった。お前は今日バイト休み? ってか、メシは?」
「物凄く話が飛びまくりだが、大体は把握した。直江のうっかりは相変わらずだが、オーナーさんが厳しい人なのは、香坂見てりゃわかったことだろ。お前が頑張って精進するしかないぞ。こっちは中番だったからな。これからスーパー行くが、お前も付き合うだろ?」
「相変わらずお前の理解力、ハンパねえな。自分で言うのも何だが、なんで、今の話で伝わってんだ……。でも、なんでスーパー? しかも俺が付き合う前提になってんの?」
「お前だって、晩メシこれからだろ?」
「そりゃあそうだし、まあ、一緒にメシどうよって意味でこっちも訊いたけど……。この時間なら、まだ『銀将』開いてるぞ?」
『餃子の銀将』は城西公園(じょうさいこうえん)駅前にある、餃子専門チェーンのことである。ラストオーダーは深夜1時半なので、夜遊び中でもなければ、時間を気にせず腹ごしらえができる。もっとも城西地区でオールする奴は、滅多にいないが。
「だったらスーパーだ。お前も少しは節約を覚えろ」
そう言うと、峰は俺の手を引いて西峰寺の参道筋を駅方面へ向かって歩き出した。俺にとっては、自宅と逆方向になる。
城西公園から電車に乗って、学園口で降りる。
4月から俺達にとっては、馴染み深い駅である。南改札から商店街をまっすぐに抜ければ大学があるし、その手前には直江のバイト先である『FLOWERS』がある。反対側の北改札を出ると、24時間スーパー『マルネイストア』があり、その近くに峰のバイト先であるファミレス『ga/gao(ガ・ガオ)』が、この時間でもまだ営業している。
ファミレスからさらに10分ほど歩いた住宅街には、2階建てのアパートが建っていて、大学への進学を機に、峰はそこで一人住まいを始めていた。理由はまだ聞いていない。はっきりしているのは、峰にとっては4月以降、生活圏が完全に、この学園口駅周辺で完結していることである。言いかえれば、この日、彼は『Cappuccino』へ俺を迎えに来るために、わざわざ電車に乗って足を運んだということだ。そしてそれは、けっして初めてのことではない。
スーパーで買い物を済ませた俺達は、まっすぐに峰のアパートへ向かった。
「毎度来るたびに思うんだが、このアパート名はどうにかならんのか」
アーチ型の門に書かれている、二つのランプで照らし出された、ファンシーな建物名を見上げつつ、俺は言った。
「可愛い名前じゃないか。ちなみに芸大前にも同系列のアパートがあって、そこは『ぽんぽこタヌキさん』って名前だ」
「もう、どこからツッコんでいいのかわからんな」
「学務課へ住所変更を申請するときには、さすがに俺もアパート名を省略したけどな」
「無難な選択だが、こう近所だと無駄な回避行動に終わった気がするぞ……」
「受付のお兄さんが、薄笑いを浮かべていたが、やはりそういうことか」
峰が諦念も露わに溜息を吐いて見せた。
「そこでニヤついたお兄さんにも問題ありだと、俺は思うけどな」
お互いに謎の会話を交わしながら、『はちみつクマさん』と書かれたアーチ型の門を潜り、一階の角部屋へ俺達は到着する。
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