一時間ほど遅れて悠希が戻り、夕方の六時過ぎに、大和を連れて真が病院から廃工場へ帰って来た。どうやら大和は、学校からまっすぐに大八島総合病院へ向かい、未だ意識が戻らない夏月の見舞いに行って来たようだった。日頃は明るい大和も、さすがに今回ばかりは持ち前の笑顔を消している。
「なんで俺達、あの人を一人にしちゃったんだろうな……」
 教科書の入っていない学校指定の鞄を、無造作にアスファルトへ放り出し、制服が汚れるのも構わず、積み上げたパレットへ腰をおろすと、大和は大きく溜息を吐く。夏月が事件を起こした外因が、自分にもあると考え、大和は責任を感じているようだった。
 後ろに立っている真は無言を保っていたが、柳眉を大きく歪めた表情が、傷心の深さを物語っている。自分の婚約者であり、兄妹同然の関係であっただけに、感じる責任の重さは大和以上だろう。
「事件を止められたかどうかなんて、わからないじゃないですか」
 両膝を抱えアスファルトへ直に腰をおろしている悠希が、毅然とした声で言った。
「そりゃあそうだけど……考えたら、普通じゃなかったろ。俺達の誰か一人でも、あの場に残ってたら、止められたかも知んないし」
「落ち込んでいた高天先生を、あたし達が残って夜通し監視しているべきだったとでも? あの状況で事件が起こる可能性なんて、誰が予想できたのよ、ばかばかしい。普通じゃなかったって言いますけど、そりゃあ家族があんな目に遭ったら平気でいられるわけないじゃないですか。それとも坊やは、レイプ被害者の家族がみんな、報復に行くとでもいうの? そうじゃないなら、自分が残って止められたかもしれないなんて考えるのは、おこがましいです。後からならなんとでも言える。大和がそうやって自分を責めるのは勝手ですが、無意味な後悔と自責で、あたし達にまで責任を擦り付けないでください」
「お前、案外ドライなんだな」
 低い大和の声と、茫然と悠希に向けられた視線には、明らかな失望が込められていた。悠希は負けずに睨み返す。
「あたしだって、あなたみたいに、惨めったらしく後から自分を責めることで、お二人の回復が早くなったり、夏月先生の悔しさが晴らせるのなら、いくらだって一緒にクヨクヨしてあげますよ」
「お前の言う通りかもしれないけどさ……けど、俺はお前みたいに、頭が理詰めで出来ちゃってないんだよ。……一応クラスは理系なんだけど。……考えてみりゃあ、お前はまだ、高天先生と会ったばっかりだもんな」
「あなた達と同じようにお二人を思えないことは、あたしも否定しません……実際のところ、高天兄妹のことは、よく存じ上げませんし。……けれど、はっきり言うと、坊やのような後悔は、心の裡に秘めておくべきだとあたしは思う。それを口にして、人に聞いてもらった途端、後悔と自責はただの自己満足に掏り替わるっていうことを、知るべきですね」
「なんだとっ……」
「やめて、二人とも」
 ヒートアップしてきた口論を、苛々とした声で真が止める。立ち上がりかけていた大和は、頭を掻きながら、再びパレットへ腰をおろした。
「ごめんなさい」
 言いすぎたと反省したらしい悠希も小さな声で謝る。その目は潤み、頬が赤かった。大和は黙ったままだったが、気不味そうに俯く顔を見れば、悠希に指摘された意味の幾らかは理解しているとわかった。
 大和の後悔は、恐らく素直なものであり、間違っても偽善などではない。もちろん、瑞穂や真、それにおそらく悠希も同じことを考えた筈だ。だが、大和がそれを口にすることで、一番傷付くのは真である。それを悠希は見過ごすことが出来ず、大和を諌めたのだろう。
 あの場に残っていれば、夏月を止めることは出来た。おそらく正しい仮説だ。しかし、夏月の行動について予想が出来るのは、本人しかいなかったこともまた当然の事実だ。自分が事件を止められたかもしれないと考えることは、ただの後悔でしかなく、同時にそれが人情というものなのだろう。その思いは理屈ではない。
 真の手前、悠希は大和を非難したが、言葉ほど大和が間違っていると思っていないことは、潤んだ瞳に現われている感情の昂りから窺い知ることが出来る。思いがけず口論となり、真の心を守りたい一心で、必要以上に大和を傷つけたと、それこそ後悔したから、昂った感情だ。
 この場にいる全員が、立て続けに起きた事件に傷付いており、悔しいと感じている。それならば、こうして顔を突き合わせて後悔する以外に、出来ることを考えるべきだろう。
「だったら、俺達が高天兄妹の思いを晴らしてやればいい」
 尻の高さまで積み上げられていたパレットへ、軽く腰を掛けながら瑞穂は言った。
「何言っちゃってんだ、瑞穂……」
「思いを晴らすって、まさかあたしたちがチーセダに報復するって意味ですか?」
 大和と悠希が、茫然とした顔で瑞穂を見つめた。
「俺達の目的って覚えてる? 祖国の人々を、愛する家族や仲間を、アルシオン兵やアグリア人から護ることでしょ。それって、まさに今やるべきことなんじゃないかな?」
「そりゃあそうだけど、でもチーセダは町で一番大きなアグリア人グループだぜ。俺達なんかが太刀打ち出来ちゃう相手じゃないだろ」
「もちろん、桜花にはまだまだ力が足りないよ。でも、俺と大和はそう言って、何年我慢を続けていた? 兄さんにくっついて走り回ってた頃から数えたら、もう十年以上でしょ。今まで通り地味に自警活動を続けるのも結構だけど、そんなことをやったところで、いつまでたってもカミシロ人が置かれた現状は変わらない。少なくとも、この事件から目を背けて、高天兄妹を見捨てるなら、俺達の存在意義はないと思う」
「別に、俺は見捨てるなんて……」
「そこまで言うからには、何か勝算がありますか? それとも単なる負け犬の遠吠えでしょうか」
「お前、だからもう少し言い方をだなあ……」
 悠希の辛辣な物言いを大和は諌めた。だが、その質問は尤もだ。
「もちろん。アサルトライフルが六丁と、マグナム弾が百二十発。それだけあれば、チーセダの事務所に壊滅的なダメージを与えるぐらいは出来る」
 瑞穂が告げると、三人の表情に緊張が走った。
「お前……いつの間に」
「大和が休憩室を掃除してくれている間に、物置きへ運び込んだ。黙っていてごめん」
「ってことは、S&Kプランニングには銃が一箱と弾が数ケース少ない状態で返却しているわけね。……いつまでも気付かれないとは思えないけど」
 真が思案深そうに柳眉を寄せる。
「その時は応戦する。こっちにも武器がある」
「瑞穂、本気で兄貴と撃ち合うつもりか? やめろよ、そんなこと」
「さっそく気付かれたようですよ」
 悠希が言った直後、ゲートからエンジン音が聞こえた。四人は立ち上がる。
「やべぇな……、こうなったら本当にやっちゃうしかないのか?」
 焦りの滲んだ声で大和が呟く。
「物置きにバットやラケットぐらいはあると思います。でも、まずはバリケードが先です」
「そうだな、……了解!」
 悠希の提案に大和が頷き、四人はプレハブへ走った。車はエンジン音の唸りをあげ、建物敷地内とは思えぬ猛スピードで入って来る。先頭の瑞穂が階段を駆け上がる頃には、車の中から五人の男達が飛び出し、追い駆けてきた。
「マズイよ、あのでけぇヤツ連れてる! あいつらマジ切れしてるぞ!」
「なんなんです? あの先頭の方、本当にカミシロ人ですか? 山のように大きい人がいます!」
「デカイのは、ティアモの用心棒でレンって男だ。あいつはアグリア人クオーターで、日頃は大人しいが一端キレると手がつけられない。そうなると、腕の一本や二本折ったぐらいじゃすまないぞ。素手で二十人は殺しちゃってる」
 悠希の質問に大和が応える。真偽の怪しい噂を交えた大雑把な解説で、悠希は概ね把握したようだった。
 近づいてくる男達は、先頭に志貴が経営しているキャバクラ、ティアモの用心棒である音信恋が、続いてティアモの支配人で、スキンヘッドの強面、水無瀬紅葉(みなせ こうよう)と、二人の影から見え隠れしている、小柄な紀ノ川リュウが続き、その後ろに志貴と、彼の背後を守るように斐伊川賢が付いて来ていた。
 瑞穂は階段を上がりきり、一番奥の扉を目指す。 「入ってくる、入ってくるよおぉ!」
「おまっ……叫びたい気持ちはわかるが、たとえ悲鳴でも言葉は選べ! うっかり勃っちゃうだろうが……」
 どうやら追っ手は迷わずに工場へ入って来たらしい。これだけ足音を立てて、騒いでいれば無理はないだろう。気の抜ける悠希と大和の会話の軽妙さとは反対に、事態はどんどん深刻になっていた。
「坊や、どこへ行くんですかッ?」
 悠希が叫びながら訊く。最後尾を走っていた大和が、プレハブの階段口を通り過ぎ、一階の部屋へ入ろうとしていた。
「俺はここ塞いじゃってから行く!」
 大和は事務所からスチール机や古いパソコンを引き摺りだしてバリケードを築き始める。悠希も途中まで上がっていた階段を引き返すと、大和を手伝うことにした。だが、その間にも追っ手は猛スピードでこちらへ近づいている。
「こら、ガキャアアアア!」
 ひときわ高い声が場内に響き渡り、振り返ると追っ手の先頭は入れ替わって、キラキラとしたスカジャンの少年が安全第一の看板のすぐ下まで来た。どうやら体格の大きなアグリア人クオーターはそれほど足が早くはないらしく、仲間を追い抜いた身の軽いスカジャンが一番乗りでプレハブまで到着しようとしていた。
「大和も悠希も、早く!」
 階段の上から真が二人に声をかける。先頭のスカジャンはもう十メートルも離れていない場所にいる。階段の入り口には高々と築かれたバリケードが出来ていたが、当然のことながら自分達が上がる隙もない。手摺りの近くで大和はすっと身を屈めると、悠希に声をかけた。
「俺を足場にして先に行け」
「でも……」
「いいから早くしろ!」
 切羽詰まった声で命令され、悠希は戸惑いながらも大和の背中を乗り越えると、立て掛けられたスチール机の脚に軽く体重をかけて、階段へ移動した。すぐ後から大和が手摺りを掴み、地面を蹴ってよじ登る。 「逃がさねえぞ、この野郎!」
「ぐっ……クソッ!」
 残った左脚を掴まれ、大和は身を捩り、足をジタバタとさせてスカジャンを振り落とそうとする。しかし、次の瞬間に視界が暗くなり、突然脚が軽くなった。
「うわああああああ!」
 男の叫びが聞こえ、固い樹脂とガラスが割れる衝撃が背後で聞こえた。
「さあ坊や、行きますよ!」
「ありがとう、助かった。けど悠希さん、パねぇっす……」
 一箇所が欠けたバリケードの向こうでは、スカジャンをキラめかせながら男が頭を押さえてのたうち回り、床の上にはレトロなCRTディスプレイが破片となって散らばっていた。悠希は重そうなそれを、男の頭上から落としたようだった。
 物置き部屋へ掛け込んだ二人は、ドアを閉めて鍵を掛ける。だが、間もなくざわついた声を間近に聞きつけ、あっさりバリケードは破られて、彼らがドアの向こうまで追い付いたことを知った。
「早すぎですぅ!」
 ドアに背を預けながら悠希が嘆いた。
「まあ、相手は男五人だからな……あれ作ったのは俺とお前二人だし。とりあえず、ここも塞いじゃうぞ。」
 木製の扉がドスン、ドスンと衝撃を響かせ始める。向こうから体当たりをしているらしいが、相当の体重だ。おそらく、例のアグリア人クオーターがぶつかって来ているのだろうと大和は判断した。そうだとすれば、プレハブ小屋の簡素な造りであるドアなど、そう耐えきれるものではない。扉の前へも二人は物を積み上げて行く。ソファやテレビ、型の古いエアコンにプリンター、加湿器、バケツ、目覚まし時計……サイズの大小を問わず、とにかく積み上げられた塊は、果たしてバリケードの役割を果たすのかどうか疑問が残った。
「ひええぇ……」
 足元からガットの破れたテニスラケットを握りしめて、悠希が泣きそうな声を出した。
「そろそろ来ちまいそうだな……」
 大和も手近な長物をグッと握りしめる。
「うおらあああああああああああ!」
 五度目の衝撃とともに男達が部屋へなだれ込み、ガラガラと音を立ててバリケードが決壊した。足元へ転がり込んで来たアグリア人クオーターの背中を目がけて、大和は手の物を振り下ろす。悠希も叫びながらラケットをブンブンと振り回した。
 仲間二人が決死の戦闘を請け負っている間に、瑞穂と真は木箱を取り出していた。
「あんた、本当に……」
 長椅子の向こうから出てきた見覚えのある木箱を見て、真が狼狽した声を出す。
「装弾手伝ってくれる?」
 箱の蓋を開けながら、文句を言いたそうな真に指示をすると、瑞穂はアサルトライフルを手に取って銃弾を込めたマガジンを一丁ずつセットしていった。真も傍へ膝を突き、小銃を手に取る。
「やり方教えてちょうだい」
「悪いけど、ゆっくり説明している暇はないから、俺の手を見ながら真似して」
 使い方は大和の提案通り、一度動画を確認しただけであり、瑞穂とて自信があるわけではない。
「なんとかやってみる」
 真は見よう見まねで装弾しようとした。だが、次の瞬間入り口から悲鳴が聞こえる。
「いってえええええぇっ! さっきから舐めた真似しやがって、このガキ……!」
「きゃあっ!」
 振り返ると、羽交い締めにされた悠希が足をジタバタとさせている。足元には、ガットの破れたテニスラケットが転がっており、悠希を捕えているリュウの腕には、カラフルなドラゴンのタトゥーの上からクッキリと赤い網目が描かれていた。額には大きな瘤と、無数の小さな切り傷がある……パソコンディスプレイを頭で受け止めたときに出来たものだ。悠希の健闘は充分称えるべきものだったであろうが、力及ばずとうとう捕まってしまったらしい。
「悠希……畜生ッ!」
「おっと兄ちゃん、そこまでだぜ」
 悠希を助けようとした大和も振り上げた竹箒を掴まれて、後ろからスキンヘッドに拘束された。
「瑞穂、だめ……」
「糞ッ……!」
 真の制止を振り切って、瑞穂は彼らへ近付くと装弾した小銃を構える。
「二人を放せ」
「ほう、元気がいいな」
 四人を押し分けるようにして、志貴が前へ出る。瑞穂も狙いを志貴に定め直した。
「仲間を解放するんだ」
「お前がソイツを下げる方が先だ、手癖の悪いガキめ」
 二メートルの至近距離から銃口をまっすぐに向けられても、志貴はまるで動じる様子がなかった。瑞穂はトリガーに指をかける。
「瑞穂、やめろって……」
 大和が声を震わせながら懇願した。そして志貴が片頬に笑みを作ると……。
「セイフティーを解除し忘れてるぞ」
「えっ……うわっ……!」
 指摘を受けたと思った次の瞬間、凄まじい衝撃とともに瑞穂の手からAM16が弾け飛んだ。手首を蹴りあげられた直後には床へ押さえ付けられており、右、左、右と続けさまに頬を拳で殴られる。そしてカシャリという乾いた音と共に、小銃を拾った志貴がチャージングハンドルを引いたことがわかった。初弾が装填された音である。
「おまけにチェンバーも空のままだ。使い方もわからない素人が、よくAM16を盗む気になったものだ。笑わせるのも大概にしろ、クソガキが……!」
 片手で襟元を絞められ、息が詰まりそうになり、続いて後頭部を床に打ち付けられた。
「ぐああッ……」
 目の前がチカチカとして、口の中に塩辛い鉄錆の味が広がる……舌か口唇の内側を噛み切ったらしい。床でぐったりと倒れている瑞穂の襟首を志貴は無造作に掴むと、そのまま立ち上がり、今度は入り口へ向けて勢いよく投げ飛ばした。
「きゃあッ……」
「瑞穂ッ……!」
 鼻と口の周りが血塗れになっている瑞穂の酷い有り様に、悠希が悲鳴をあげ、大和が動揺する。
「下に連れていけ」
 AM16を肩に掲げながら志貴が指示をする。命令を受けて、アグリア人クオーターのレンが、軽々と瑞穂を肩に担ぎあげた。
「志貴、もうそのぐらいでいいだろ。今は残りの一ケースを運ぶ方が先だ」
 興奮している親友を窘めながら、賢が小銃を取り上げた。弁護士は慣れた手付きでマガジンを外すと、残弾を抜き取りセイフティーをかける。
「わかってる。だが、コイツは俺達のモノに二度も手を付けようとした。最初は知らなかったかもしれないが、今度は確信犯だ。しかも俺に銃を向けやがった。……いいからレン、下に連れて行け。リュウはAM16を運べ」
「は、はいッ」
「……わかりました」
 キラキラとした小柄なスカジャンが足元からAM16を拾い上げ、部屋の奥へと進むのを確認した直後、瑞穂は床から二メートルの視界の中で、プレハブの階段を降ろされた。
「あれ以上はやめてあげて……瑞穂は少し前から腹痛があるの」
「なるほどな、いい情報提供だ。聞いたなレン、腹を狙うんだ」
 背中から縋るようにして制止を乞う真を片手で振り払い、右腕一本で弟を抱えているレンへ指示をする。
「……はい」
 短く応答を返すレンの肩の上で、巨大な背中にだらりと両腕を垂らした瑞穂は、一分先にある自分の運命がどうなるかも、想像出来ずにいた。
「てめえの弟だろ……これ以上、何しちゃおうってんだ!」
「いくらなんでもやり過ぎです!」
 大和と悠希の叫ぶ声が、段々と遠のいて行く。最後の一段を降りると、その場へレンは肩の荷物を無造作におろした。すかさず腹部に力強い蹴りが入る。
「ぐあッ……!」
 重いキックが鳩尾へめり込み、それだけで瑞穂は軽く嘔吐した。血の混じった吐瀉物が、ざらついた床へペシャリと吐き出される。次の一撃は背中へ繰り出された。
「志貴ッ、やめさせろ! 瑞穂を殺す気かッ?」
 大和が叫んでいる。その次は尻へ、太腿へ強い蹴りが入り、今度は後頭部から皮靴で踏み付けられる。
「うわあぁ……ッ」
 自分で出した吐瀉物が鼻から口へと押し付けられ、不快な感触とツンとした臭いに瑞穂は顔を顰めた。
「何をやってるレン、腹を狙えと言っただろ」
「はあ……、うわッ…!」
「お願い、やめて……瑞穂ッ、大丈夫?」
 後頭部の圧迫がなくなった途端、瑞穂の身体は強く引き寄せられ、呼び掛けられる。真に押し退けられたレンの巨体は傍らで跪き、戸惑っているような視線を二人へ向けていた。
「退けろッ!」
「嫌……やめてッ、本当に瑞穂は……!」
 次の瞬間、容赦のない力が瑞穂から真を引き剥がした。
「てめぇはソイツを押さえてろ」
 怒りにギラついた鋭い視線を向けられると共に、ボスから絶対命令を受けたレンは、無言のまま服従し、巨躯を屈めて真を拘束した。志貴は冷酷な表情で瑞穂を見おろすと、鋭い蹴りを胴へ入れる。皮靴の爪先が腹へ減り込み、瑞穂は背を丸めて咳き込んだ。次に顔を蹴り上げ、腕のガードが外れたところを狙って、立て続けに鳩尾、胸、下腹部へと重い打撃を連発する。
「やめてあげて……もう、お願いだから」
 声に涙を滲ませながら真が懇願するが、志貴は冷笑を浮かべるだけだ。
「うあぁぁ……ッ」
 皮膚が擦りきれ血が滲んだ布の上から、固い革靴越しに体重をかけられて、瑞穂は呻き声をあげる。
「お前らのような素人が、あんなもんを手に入れて何する気だったんだ? レジスタンスごっこをして遊ぶのは勝手だが、AM16はガキの玩具じゃねえぞッ」
 ヌルリとした粘液が口唇の端に付着し、瑞穂は唾を吐きかけられた屈辱を知る。
「遊びじゃ……ない……」
 苦痛に顔を歪めながら、瑞穂は言い返した。志貴の顔が不快に歪められる。
「なんだと……」
 また、蹴られる……そう思い、瑞穂が身体を固くしたところで、思わぬ制止が入った。
「志貴、荷物は全て回収した。その辺にしておけ」
 再び蹴りを繰り出そうとしていた志貴の肩を強い力で押さえながら、賢の灰色の瞳が親友を見つめる。声には有無を言わさぬ力があった。傍らには六丁のAM16を無造作に収めた木箱を持ってリュウが立っている。中途半端に蹴り上げていた足を下ろし、志貴は踵を返した。
「お前ら、帰るぞ」
 リーダーの号令でそれぞれを拘束していた三人は集まり、やってきた車へと向かう。
「瑞穂……」
 床へぐったりと倒れている瑞穂を真はそっと抱き起こした。血塗れの顔に苦悶を浮かべる瑞穂は、自分の腹を押さえ、背を丸めながら呻き続ける。
「悔しかったらもっと強くなってみろ。出来ないなら、せめて知恵を付けるんだな」
 朦朧とした意識の中で聞いた志貴の言葉に、瑞穂はギリリと奥歯を噛み締めた。
 その晩、瑞穂は再び激しい腹痛に襲われ、暴行で受けた全身の打撲が痛み、身動きが出来なかった。手当をしてくれた真がそのまま夜通し傍に付き添い、大和や悠希も入れ替わりやって来て心配そうに様子を窺った。冷やしたタオルで傷口を押さえ、痛み止めを何錠も服用して、漸く明け方になり瑞穂はウトウトとし始めた。

  *『呪縛の桜花』(前篇)了。 『呪縛の桜花』(後篇)へ続く。*