「じゃあ僕はこれから撮影所に寄って帰るけど、みんなも適当に遊んで、早めにホテルへ帰ってね」
 ロケが終了し、八坂の掛け声でクルーが解散したのは十九時過ぎ。
 てっきり八坂と同年代の監督か裏方に会いに行くのかと思えば、相手はまだ十代の美少年で、当該作品へエキストラ出演をしている役者の卵だった。
「朝倉翼(あさくら つばさ)君っていってね、日頃は舞台で頑張ってる劇団員なんだけど、レオナルドダビンチの絵画から飛び出した天使みたいにそれはそれは尊くて、思わず応援したくなっちゃうんだよ」
 友人や知り合いとの再会を懐かしむのではなく、八坂は推しを愛でに行ったと一同は理解を改めた。
 撮影車はその八坂が運転して行ってしまった。撮影所へ立ち寄ったあと、夜通し運転してそのまま東京へ戻るという。別企画で翌日使用予定があるのだろう。
「俺達はタクシー呼ぶけど、お前らどうする?」
 スマホでタクシーアプリを起動させながら、水森が訊く。「俺達」ということは、一人ではない。
「どこ行くんすか?」
「M池」
 犬山の質問へ機材を抱えながら桜田が応える。
「聞いてないっすよ、そんなの。だったら俺らも……」
「来なくていい。プライベートだ。水森さん、タクシー捕まりました?」
「すぐ来るってさ」
 水森が見せるスマホを覗き込む桜田の距離が、異常に近いと瀬川は気付く。
「機材抱えて夜の池にどんなプライベートっすか」
 機材持参なら当然撮影だろうが、根っからの心霊マニアである水森と桜田であれば、実際にただの趣味で、プロ仕様の機材を使って夜通し池を撮影しかねない。
 M池とは、Kトンネルとともに京都の二大心霊スポットとして有名な場所だ。最近であればここに、幽霊マンションが追加されるだろうか。
 そのマンションはKトンネルや撮影所からも近く、当初はこの度の取材予定に入っていたが、今はすっかりリフォームされて住人達が平穏に生活していることから、昼間瀬川と犬山が下見へ訪れた際に撮影許可が下りなかった。
 撮影したとしても、すっかり小奇麗に変身した明るいマンションでは、心霊コンテンツとして雰囲気に欠ける。
「俺達もどっか行きます?」
「どうしよ……」
 撮影が順調に進んだこともあり、予定よりも早く解放した。真夏の十九時であればまだ薄明るく、遊びに行くもよし、飲みに行くもよしという時間帯ではある。
 思案している間に愛宕街道を上ってくる車の看板が見えた。水森が呼んだタクシーだ。
「乗るなら送っていくぞ」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。なら、明日も早いからさっさと帰れよ」
「了解です」
 二人を乗せたタクシーを瀬川は暫く見送った。
 水森と交わした二人きりの会話をそっと噛み締める。明朝が早いのは水森達も同じことだが、「帰れ」という言葉が突き放しているというよりも気遣ってくれたように感じるのは、自分の思い上がりだろうかと瀬川は考えた。
「どうしましょっかね……」
 再度訊かれて、犬山と二人で残されたことを瀬川は思い出した。
「帰る」
「まさか、こっから歩いてっすか? ホテルまで三十分以上かかりますよ? せめて何か食べ行きません?」
 水森達を乗せたタクシーを追うように、瀬川は愛宕街道の坂道を下りはじめた。慌てて犬山が後を追う。
「犬山君行ってきていいよ。おやすみ」
「マジっすか? いやいや、ホテルまで送りますって」
 D寺門前交差点へ出るともう一度食事へ誘ってきた犬山に断り、瀬川は一人でホテルの部屋へ戻った。
 ベッドにキャリーバッグの中身を広げて翌朝の準備を済また後、撮影スケジュールを確認しながら、瀬川はハンディカメラの電源を入れる。そしてビデオを再生すると、日中の出来事がまざまさと頭の中へ呼び起こされた。

 現場へ着くと、凡庸な依頼内容は、一点してトピックに満ちたロケへと切り替わった。
 そもそも、「女の悲鳴」がありきたりな心霊現象とはいえ、それはオカルト慣れして麻痺した感覚にとってのことであって、実際耳にしたなら、とても冷静でいられない恐怖体験だ。
 現場で取材中、一行は偶然にもKトンネルを訪れていたという若い観光客グループから、同様の体験談を聞くことが出来た。彼らは、つい先ほどまさにKトンネルを通過中、悲鳴を聞いてきたばかりだと言い、残念ながらその際スマホなどで撮影はしていなかったが、一人の少年が興味深い情報を提供してくれた。
「その悲鳴をあげたっていう女性が、Kトンネルの近くにあるホテルの一室で首を吊った噂があるんだよ」
 事件の流れはこうである。今から五年ほど前のこと、当時OLをしていた二十代の女性は、深夜のKトンネルで何者かに乱暴された。傷ついた身体でトンネルを抜けた彼女は、近所のホテルへチェックインすると客室で首を吊り若い命を絶ったというものだった。
 その女性が悲鳴の主かどうかは不明であり、トンネルではまだ生きていた彼女の声が心霊現象として再現されるというのも考えにくいため、別物かも知れないが、少年が教えてくれたホテルについても調査を進める価値があると監督の水森は判断した。しかし、五百メートルもあるKトンネルの入り口付近は、どちらも山道でホテルが建っている様子もない。
「上行ってみるか」
 水森の提案で一行はKトンネルの上を通る、山道へ入りかけて、すぐにそれは見つかった。
「やっぱ、あれのことっすかね」
 犬山が指さす方向には、場違いなほど派手な佇まいのラブホテルが一軒あった。そこはセルフサービスで部屋を選ぶ無人タイプではなく、フロントと顔を合わさないように手元だけ見える狭い窓を介してチェックインするタイプの、少し古いラブホテルだ。
 まともにカメラを持って行っても撮影出来るわけはないだろうし、だからといってカップルを装い潜入撮影するというのも、コンテンツの方向性から不適切に思われた。そこで水森は、一人が代表してICレコーダーを持参し、従業員から話を聞き出そうと提案した。
「じゃ行ってきて」
 無情にも瀬川にICレコーダーが差し出される。
「あたしが、ですか……」
「え……?」
犬山がギョッとした顔で水森を見つめた。
「俺はモニターチェックしてないといけないし、犬山は万一に備えて入り口張ってた方がいいだろ」
「じゃあ桜田さんは?」
「桜田を同行させた方が気まずいだろ」
 犬山の質問に水森が迷いのない即答をする。
「……けど、女性の瀬川さん一人にラブホ突撃させるって、ちょっと酷じゃないっすかね」
「犬山、何か勘違いしてないか? 俺達は取材に来てるんだぞ。それにラブホみたいな秘匿性が高い現場の場合、男より女が行った方が相手の警戒心も低くなるんだよ」
 なんだかんだと言い包められ、瀬川が一人でラブホテルへ挑むことになった。
 スイッチをONに入れたままのICレコーダーをシャツのポケットへ忍ばせて、駐車場の階段から二階のフロントへ向かう。入り口には都会のオシャレな同様の施設よりも、ずっと価格設定が低い利用料金が提示されていた。思ったよりも明るい廊下の先に、小さなカウンターを見つけたが、ちょうど一組のカップルがチェックアウトをしているところだった。顔を合わせては気まずいと思い、瀬川は背を向ける。
 すぐに中年カップルが廊下を通り過ぎ、思いがけず彼らが来た方向から、先に声をかけられた。
「いらっしゃいませ」
 どこかにカメラでもあるのではないだろうかという、反応の良さだったが、距離的に瀬川の脚でも見えていたのだろう。
「初めてのご利用ですか?」
「そうですが、じゃなくて……ええと」
「ご休憩、ご宿泊、どちらでも今なら、初回からご利用いただける会員割引サービスがございますが、どうされます?」
「あの……」
『何やってるんだ、さっさと取材しろ!』
 ワイヤレスのイヤホンから水森の檄が飛んだ。
「あ、はい」
「はい?」
 その後瀬川は取材交渉を試みたが、守秘義務の観点から利用客については一切答えられないと言われ、案の定最後まで応じてもらえなかった。
「従業員の立場からは何も言えないけどね、二〇××年九月三日Kトンネル、首吊り、K新聞」のキーワードで検索したら、何か見つかるかも知れないよ」
 偶然にも『呪いの伝説』シリーズのファンだというフロント係がそう言ってメモを渡してくれた。メモには201号室という部屋番号まで書かれていた。
 撮影車に戻って早速キーワード検索をしてみると、五年前に二十歳のOLが恋人と別れた後で、Kトンネルを徒歩で通過中、三人組に暴行を受け、一時間後取材先と思われるラブホテルの一室で首吊り自殺をしていたことがわかった。
 新作のテーマは、Kトンネルの動画と、この自殺女性の取材の二本を中心に進めることになった。



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