「何作っちゃってるの?」
水滴を滴らせるガラス蓋越しに、コンロへかけてた手付き鍋を覗き込みながら大和が訊いてきた。その隣のコンロも稼働中で、カレーを焚いている真っ最中だ。味付けは水のように薄く、出来あがった直後にウスターソースをかけて食べる……大和の好きな、趣味の悪い食べ方だ。
「ピタスモモのピクルスだよ。……駄目、ご飯前でしょ、放しなさい」
「やだぁー、ココナッチュー僕のー」
ココナッツとまだ言えない五歳児の小さな手から、茶色い箱を取り上げると、息子は高い声で養父によって与えられたココナッツチョコレートの所有権を、一人前に訴えて来た。
「へえ……これがピタスモモか。送り主は真なんだね、なんでこんなの送ってくれちゃったの?」
「ツァンジャリー村に高天先生が主治医の患者さんがいるらしくて、大量に送ってくれたらしいんだけど、足が早いからってお裾分け。……ねえ、アルシオンに行くなら行くでどうして教えてくれなったの? 心配するじゃない」
「前にCM撮影があるって言っただろう。……ああ、俺と志穂は夕飯いらないぞ。お義母さん家で食べて来たから。それで、このピクルスってもう食べられるの?」
「アルシオンに行くなんて聞いてないよ。ちょっと、夕飯食べて来たならちゃんと言ってよ、もう……」
息子から取り上げたアルシオン土産のチョコレートを、箱ごと手に持ったまま大和の傍らへ移動すると、冷蔵庫からカレールーを取り出し、二粒鍋へ追加投入する。自分のためなら、まともなカレーを作るに決まっている。
「ああっ、入れやがった……」
「大和が食べるときに好きなだけ薄めればいいでしょ。俺は普通のカレーが食べたいの。……そっちも火消してくれる?」
「ピクルス? ……じゃあ、もう食っちゃっていい?」
言いながら大和が火を消した途端に蓋を取ってしまった……余熱利用を考慮していたが、まあ、レシピにも十分煮たら火を消し、あとは冷ますだけと書いてある。それ以外の工程は、香り付けに瓶へ入れ足すミントの葉ぐらいのものだろう。
「まあ、食べれなくもないとは書いてるけど……何、そんなにこれ食べたいの?」
AVを消したスマホのブラウザには、カミシロのメジャーな男性誌へ数年前に連載されていたらしい、とあるレシピのページが表示されている。
自慰の後始末後、すぐに取り掛かったカレー作りを進行しつつ、居間で開きっぱなしになっていたPCの方へ、昨日付けで着信していたメールに、漸く気がついた。送信者は先に性具として大活躍したピタスモモの送り主である真だ。もちろん、真面目な真がそんな目的の為に食べ物を送ってくる筈はなく、珍しいが傷み易い、異国の果実のお裾分けだとメールには書いてあった。しかし、お裾分けと言いつつ、輸入業者の名前や納品書が同梱されているあたりは、その真の理由付けも当てにはならない……きっと入手する機会を前もって予定し、長らく音信が途切れていた俺達へ、コンタクトをとるきっかけとして、予め注文してくれたのだろうと察しがつく。そのような繊細さこそが、真らしいだろうと感じた。
ただ、この輸入業者である桐ケ谷紫桜(きりがや しおう)なる、ツァンジャリー村在住のカミシロ人が、高天夏樹(たかま かづき)医師の患者であることは事実のようであり、それもどうやら自分と同じ両性具有者であり、従って同い年だという。つまり桐ケ谷氏もまた、その母親が妊娠期におけるアルシオンのT弾被爆者ということだ。奇縁にこの見知らぬ人物へ不思議な親近感を覚えつつ、真がメールにリンクを貼ってくれたレシピページを表示させてみると、この桐ケ谷氏が男性誌に連載していた、ある日のコラムに行き当たり、それこそがピタスモモのピクルスレシピだったのだ。
材料は冷蔵庫やキャビネット、或いはベランダに栽培中のもので事足りたので、ピタスモモの処遇に困っていた俺は、カレーを作る傍らで、早速ピクルス作りも並行して行った。その真っ最中に、伴侶が息子を伴って玄関から入って来たのである……間一髪といったタイミングだった。
「うわっ……ちちっ……」
大和が青い大きな果肉を口に入れてすぐ、慌てて皿に戻している。
カレーを混ぜていた俺は、早速食べていた相方を振り返り、呆れるやらいたたまれないやらといった、複雑な心境でそれを眺めた。大和は一旦戻したピタスモモをスプーンで小さく切りわけ、再び口へ入れようとする。
「今まで沸騰してたの見てたでしょうに……ええと、それ、どう?」
ほんの一時間ほど前、俺がこのキッチンで……彼がまさに立ってつまみ食いをしているその場所で、あの果実を使って何をしていたか……そんなことをこの男は知る筈もないだろう。
「はふ……うん、なんかちょっとあっさりしてるけど、それでいて濃厚な……やべえな、なんか癖になるかも」
などと言いながら、大和が切り分けた残りもパクリと食べてしまった。
「なんだかいい加減な感想だね。……でも、美味しいなら良かった」
時刻は午後七時十五分。出来たてのピクルスやココナッツチョコレートを、血の繋がらない父子が食べる傍らで、自分だけカレーで夕食を済ませた。
その晩、暫くぶりに身体を求めて来た大和の、異常なしつこさに手を焼くことになった俺が、その原因がピタスモモにあると気付いたのは数カ月後。漸く授かった二人目の妊娠に気付いた初秋のことだった。
END
『短編・読切2』へ戻る