その日の取材は、京都の観光地にある、某有名トンネルでのものだった。動画サイトで検索すれば、プロ、素人の関係なく視聴しきれないほどヒットする、国内有数の心霊スポットである。投稿された素材だけを提供すれば、有象無象の動画やブログ、紙媒体などに埋もれて、間違いなく見向きもされない目新しさの欠片もない案件を、いかに面白く仕上げるかが、監督である水森をはじめとした『呪いの伝説』制作委員会各スタッフの腕の見せ所だった。
では、依頼内容を見てみよう。
『トンネルの怪異 投稿者:眉鍔夜太郎さん(十九歳 大学生)
これは僕が高校時代に修学旅行で京都を訪問したときのものです。宿泊旅館が嵐山にあったため、心霊好きな僕と友人のリョウちゃんは、夜に抜け出して、有名なKトンネルを目指しました。
道中には無縁仏が並ぶA念仏寺や、トンネルの入り口手前では府道から苔むした石仏が見えるO念仏寺があるなど、夜ともなればそれだけで雰囲気満点の場所です。
このトンネルへ入るためにはルールがあり、入り口に到着したとき信号が青なら幽霊に呼ばれている。心霊現象に遭いたくなければ、一度信号が変わるのを待って、再度青になってからトンネルへ入らないといけない、というものです。
そして僕らがトンネルへ到着したとき、まさしく信号は青でした。僕はチャンスだと思い、しかしリョウちゃんは信号が変わるのを待とうと言いました。せっかく有名なKトンネルへ来たというのに、それでは何のために心霊スポットを訪れたのかわかりません。僕はリョウちゃんを無視してトンネルへ向かいました。しかしリョウちゃんは止せと僕の手を引きます。その間もスマホのビデオは回していましたから、僕とリョウちゃんの本気の喧嘩ぶりがおわかりいただけると思います。
「だったら、お前だけ残ればいいだろう!」
僕が言った次の瞬間、一瞬の空白を置いて、リョウちゃんが、「信号変わっちゃったよ」。
振り返ると確かに信号は赤になっており、暫くして数台のトラックが向こう側から通り過ぎて行きました。大きな車が立てるエンジン音は迫力があり、僕らは脇に避けて信号を待ち、もう一度青になってからトンネルへ入ると、向こう側へ抜け、そして次の信号ですぐに引き返してきました。ルールに従ったせいか、僕らに霊感がなかったせいかはわかりませんが、結局トンネルでは何も起こらず、二人とも心霊現象には気付きませんでした。
翌朝、僕はリョウちゃんに揺り起こされました。
「おい、眉ちゃんこれ見てみろよ!」
朝食にはまだ一時間も早い六時前。同室のクラスメイト達はほとんどが布団の上です。寝ぼけ眼の僕の前でリョウちゃんはスマホを勝手に再生しました。
それは夕べ訪れたKトンネルの動画でしたが、ほとんど真っ暗で何も見えません。僕達の会話とアスファルトを進むジャリジャリとした靴の音だけが動画を識別する材料です。
次第に僕らの会話は語気の激しさを増し、トンネル入り口に着いたのだとわかりました。動画を見ていた僕はだんだん気まずくなり、夕べ強く言ったことをリョウちゃんに謝ろうかと思ったそのときです。
携帯から聞きなれぬ女の声が、確かに僕の耳へと届きました。
「今のもう一回……」
「眉ちゃんにも、聞こえたよな?」
僕は頷くと、リョウちゃんはもう一度動画を数秒前から再生してくれました。
それは僕が眉ちゃんに言った、一番後悔した一言。「だったら、お前だけ残ればいいだろう!」という突き放した発言の直後に続いた、無言の数秒間……、そこではっきり女の悲鳴が入っていたのです。
悲鳴は友人の静止を無視して、無謀にもトンネルへ入ろうとしていた僕への警告だったのかもしれませんし、痛々しい哀願にも聞こえる響きは、過去このトンネルで起きた事件の、犠牲となった女性の叫びにも聞こえます。
証拠の動画はリョウちゃんが撮影したものをコピーしました。制作委員会のみなさん、どうか検証を宜しくお願い致します。』
セリフ付きの投稿文章は、過去制作委員会に届いた中でも比較的巧みで、臨場感溢れる文章構成は、投稿主がこういった投稿に手慣れているのであろう背景が窺い知れたが、肝心の動画も、ここに書かれている心霊現象も、極めて地味でまるきり新鮮味に欠けた。
「女の悲鳴っていうのは、多数あるKトンネルの心霊現象の中でもわりとメジャーなものなんだけどな……」
スタッフルームで動画を見ていた桜田が語尾を曖昧に濁したが、言いたいことはスタッフ一同間違いなく一致していて、一瞬の悲鳴だけでは作品価値がないということ、そして何より、投稿者曰く「はっきり入っていた女の悲鳴」が、聞きようによっては撮影者である友人の「リョウちゃん」もしくは、投稿者、眉鍔さんのどちらかが携帯している荷物のどれかが起こした摩擦音に聞こえなくもないという悲劇だった。
要するに、心霊現象としてドキュメンタリー発表するには極めてグレーゾーンな投稿内容だった。
「さすがにこれは、な……」
ディレクターの水森もボツ投稿の判断を下しかけたそのとき。
「何なに、これって嵐山? すっごい懐かしい! そうだ、僕の知り合いが今ちょうどね、近くで撮影中なんだよ。僕も昔時代劇に関わったことがあって、あの撮影所でさあ……」
プロデューサー、八坂の一言で、現地取材へ急展開したのだった。
03
『短編・読切2』へ戻る