そこには三津木の足を捕えたままの姿勢で、篤が立っていた。
その光景を俺は地面に尻餅を突いた状態で、ぼんやり眺めていたわけで・・・・。
「早く退場しないと、チームメートに迷惑をかけることになるよ」
三津木の足からすっと手を放した篤の右手には、蹴りによる衝撃を受けて、彼の手を真っ白に汚しているペイント弾。
・・・なるほど、確かにHITだ。
「わ・・・私の空中回転蹴りを片手で・・・。しかも仲間に体当たりを仕掛けて避けさせた、軸の安定しない姿勢の筈なのに」
「三津木、何してるの。早く退場しなさい!」
言っている傍から先ほどの主審がやって来て、三津木にイエローカードを出した。
被弾による警告だ。
「わ、わかっている。貴様に言われなくとも・・・」
「敵対行動。3−C1名退場」
「ちょっと主審、今のどこが敵対行動なのよ、可笑しいじゃない!」
敢えて言うなら、審判に対する敵対行動だろう。
ただの反論だが。
「お、おい雪島やめとけ・・・」
俺が窘めた傍から、雪島にもイエローカードが出てしまった。
俺と同じ審判侮辱行為。
これで3−Eは警告1名。
3−Cはゾンビに対する強制退場が1名とそれに付随するプレーヤーのマイナス1カウント、及び警告1名。
一気に戦況がE組へ有利に傾いたが、これは一時的なものに過ぎなかった。
「切込係の三津木が離脱、及び雪島分隊長が警告を受けたため、前戦を下がらざるを得ない。私と鈴宮は、敵ペナルティーエリアへ向かっている浅井と綾峰を支援する。現在、ここへは速瀬班から高原と室戸が向かっているから、矢代と白井は、それまで何とか持ちこたえろ!」
センターライン付近の遮蔽物越しに、3−C元調理部部長の木下光江(きのした みつえ)が作戦変更を残りの3名に伝えた。
「待って木下、それはつまり、実質的に三津木と雪島両名の離脱と捉えていいの・・・?」
投擲に備えてハイレディの姿勢を取っていた鈴宮霞(すずみや かすみ)が、ペイント弾を持った腕を下ろして聞いた。
「そういうことになる」
重々しく木下が肯定する。
「そんな・・・分隊長が離脱だなんて・・・」
「畜生っ・・・E組の野郎・・・よくも、よくも分隊長を・・・!」
「落ち付け白井。雪島は何も死んだわけじゃない、前線から引くだけの話だ。いいか貴様ら、今後の雪島ヴァルキリーズの指揮は私が執る。だが、雪島ヴァルキリーズはあくまで雪島ヴァルキリーズだ」
「木下班長・・・!」
「めそめそするな矢代! 全員、隊規斉唱っ!」
「死力を尽くしてプレーにあたれ! 生ある限り全力を尽くせ! 決して、犬死にするな!」
「復唱!」
「死力を尽くしてプレーにあたれ! 生ある限り全力を尽くせ! 決して、犬死にするな!」
「よし、各自配置に着け!」
「はいっ!」
威勢のよい隊規斉唱が、一糸乱れぬ調子で聞こえた直後、機敏さを取り戻したC組雪島分隊が、木下班長の号令に従って、やはり2名ずつの組み分けで配置に着いた。
隊規斉唱が、リーダーを欠いた分隊の動揺を綺麗に洗い流したようだった。
「・・・っていうか、だからあいつらは一体何やってんだよ」
「完全に軍隊ごっこね」
まったく誰の趣味なのやら。
戦況は一進一退の攻防を極めた。
3−Cは脱落者1名を出し、主力の雪島を実質的な離脱に追い込まれたものの、前線に空いたその穴は分隊副隊長の木下が見事にカバー。
三津木のような武等派はいないものの、鈴宮とのコンビネーションで立派にストームバンガードの役割を果たしていた。
木下、鈴宮が空けた穴へ飛び込むのは、浅井、綾峰の二名。
この二人は工作員とことだが・・・。
「ちょぉっと待ったぁあああ!」
「なんだ、君はさっき三津木にコテンパンにやられていた原田君じゃないか」
俺の目の前で宙返りしながら、ポニーテールの少女が言った。
元新体操部の浅井だ。
「コ、コテンパンという程やられてはいないだろうっ・・・ていうか、その宙返りは何か意味あるの? ・・・じゃなくてっ、それっ! 手に持っているそれ!」
俺は浅井が手に持ってブンブン回しているロープ状の物を指さしながら指摘した。
いや、まさにロープそのものである。
「面白いな君は。宙返りは大変重要なサインだから、容易に敵へ明かすわけにはいかない」
「・・・というと、つまり仲間に対する何かの暗号なのか」
俺は咄嗟に身構えると、周囲に警戒を張り巡らす。
一斉射撃でもされたら、一発でアウトだ。
「うん。本来なら明かすわけにはいかないんだが、私は君が気に入ったから特別にヒントを与えてやろう」
「いいのかよ、そんな勝手な真似して! っていうか、俺、気に入られちゃったの? これって一種の告白タイム?」
なんとなくモテ期に入っているような気はしたんだが、ポニーテールが愛らしい元新体操部のこの少女は、なかなかの美少女だ。
まあ、片手でロープをブンブン振りまわして俺を威嚇しているあたりは、少々ひっかかるが。
「そう構えるな、告白ではあるが、恋愛感情は一切皆無だから安心していいよ」
「・・・あっさり言ってくれますね」
凄いな俺、今0.1秒でふられたんじゃないか?
これって俺史上最速だったりしないか、ひょっとして。
そしてなぜか、ここで再び宙返りをする浅井。
今度は手を突くこともなくくるりと回って、ペナルティエリアへ綺麗に着地。
それと同時にロープをシュルンと解いて弧を描き、浅井が右手を動かすたびに無限大・・・つまり、アラビア数字の8の時を横にしたような軌道を描いて、彼女の傍へは近寄れなくなる。
浅井はそのまま前へ大きくジャンプしながら、一気にゴールの傍へと近づいてゆく。
「ちょっと何やってんのよ、馬鹿!」
江藤が慌てて俺を追い越して行った。
しかし途中で木下達の襲撃に遭ってしまい、ペナルティエリア前の遮蔽物で止められる。
「しまった・・・」
あまりに見事な動きに見惚れていて、つい浅井をあっさりと侵入させていた。
不覚を取り戻すために俺は浅井を追いかけると、木下達が投げたペイント弾を拾い上げて、浅井に向け投擲する。
「っと・・・、さすが原田君。やるなぁ君はなかなか」
しかしペイント弾は浅井が振りまわしているロープに当たり、全て彼女の足元へ払い落とされた。
ただし同時にロープも地面を叩くことになり、回転の軌道を乱された不快さからか、浅井の顔が僅かに曇る。
「だからさ、それだよそれ! ロープは反則じゃないのか!」
俺は気になっていたことをやっと彼女へ追究した。
「だったら審判がファウルか警告をとるだろう? けれどホイッスルも鳴っていないということは、つまり、これは反則じゃないということだよ」
今度は二つ折りに纏め、それを更に半分の長さにしたロープの両端を握り、俺に見せつけるように手を伸ばして、浅井が鋭くパンパンとロープを鳴らした。
「んなわけねぇだろ、おいし・・・」
審判を呼ぼうとして、先ほど1枚警告を食らっていたことを思い出した俺は、危うく口を噤んだ。
同じような真似をしたら、再び審判侮辱行為と看做され、今度こそ退場になる。
理不尽だが。
「ほう、学習したみたいだね、原田君」
「畜生・・・なんか納得いかねえな」
「それは気のせいなのだよ、原田君。だってお家に帰ってからでいいから、もう一度ルールブックを読み直しごらん。そこにはきっとこう書いてあるのだよ。“上記以外はとくに規定を設けない”。そしてその上記、すなわち明文化された規定では、ロープの使用を禁止してはいない。わかるかい、原田君。つまり今私がしていることは、れっきとしたルールの範囲内のことなのだよ」
「詭弁だろ、それは!」
「詭弁で結構。認知・判断・操作! 三つ要素のうち、もっとも重要なものが認知ということさ。それを怠った時点で勝負は八割方ついていることを、知るべきなのだよ原田君、ふはははははは」
「ふははははじゃねーっ! ちなみに、もっともらしいこと言ってるが、全っ然的外れだからな! っていうかそれ、安全運転のポイントじゃねーか!」
「ほうほう原田君、そんなに私と勝負したいか」
「話を聞けーっ!」
「かかってきなさいっ! しゅたっ!」
自作SEを発しながら同時に浅井は空中高くジャンプし、同時にロープをM字状に振り下ろした。
俺は後退しながらそれを避けると、地面を強く叩いたロープが砂埃を巻き起こす。
「げほっげほっ・・・絶対ずるいぞソレ・・・」
「おらおらどうした、えー? それで終わりかー?」
今度はチンピラ風の舐めた口調でロープをグルグルと振りまわし始める浅井。
これはむかつく。
「ちくしょう・・・女だからって、これ以上は手加減しねぇぞ・・・!」
「上等だ原田君」
「うりゃああああああああああ」
「とうっ!」
俺がスタートしたと同時に、浅井も再び地面を蹴りあげる。
「くらえええええええええええ」
握りしめた拳を振り上げ、念のために顔は避けて肩の辺りを狙う。
「甘いなっ」
ロープの回転が俺の腕を鋭く弾き、一瞬焼けたような痛みを伴った。
そしてペナルティエリアの中で交錯する、俺と浅井。
「見えた」
俺は咄嗟に拳を開き、ささくれ立った荒縄の表面を捕える。
「・・・なんだと!?」
浅井が目を見開き、人を食ったような表情を貼りつかせていたその小さな面が、一瞬にして激しい動揺に歪んだ。
「遅いっ!」
俺はそのまま一気にロープを引き寄せると、先端を持った浅井の身体を、グラウンドの上で転倒させた。
そのまま肩の辺りを肘で押さえて地面へ固定し、体重を乗せて浅井を見下ろす。
「ぐっ・・・」
浅井が唸るような声を発して、下から俺を睨みつけた。
「勝負あったな」
「そのようだな・・・だが、原田君。これは一体何の真似だね」
「何のって・・・そりゃお前、相手の抵抗を封じ、両肩をマットへ沈めてレフェリーからスリーカウントをとってもらうための」
「言っている内容はともかく、要するに私を完膚なきまでに叩きのめしたしるしに、その力を周囲の者へ誇示したかったということだな。それは別に構わないが、目の前の戦いに没頭するあまり、周りが見えなくなるところが、君の甘さだと敢えて指摘してみよう。勘違いするんじゃないぞ。これは負け惜しみなどではなく、純粋に君の行く末を心配した、老婆心から言っている。いいから、その目で周囲を見てみたまえ・・・いや、寧ろ自分自身を見つめてみろと、私は君へ言うべきだろうか」
俺にグラウンドへ沈められているくせに、浅井はすっかり元の人をくったような表情で、淡々と告げた。
自分を見つめろ、とはどういう意味だ。
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