咄嗟に入り口を振り返る。
幸いにして部屋には、捜査員もこの店の関係者も残っておらず、俺と彼しかいなかった。
「あ・・・あの・・・これは、その・・・」
言い訳をしたそうなアザミを立ち上がらせて、よくわからないその着物の帯を、適当に結んでやる。
彼もまた、着替えの途中だったようだ。
「話は後で聞く。とりあえず服を・・・畜生、なんでこの紐はこんなに長ったらしいんだ! ドレスの裾も長すぎるだろう・・・」
アザミは俺の手から帯をさりげなく奪うと、慣れた手つきで着付けを直していった。
流石にそこは、日本人の子供だ。
鮮やかなものである。
「あの・・・刑事さん、僕は・・・えっ・・?」
再び話を続けようとしたアザミを横抱きに抱えて、彼をこの部屋から・・・いや、この館から俺は連れ出すことにした。
「この店は現在、付近住民の通報により家宅捜査中だ。一緒にいた少女達は被害者として保護されただけだが、君がここにいるのは、不味すぎる。事情はあるのかも知れないが、とりあえずここから出た方がいい」
「刑事さん・・・」
少女達の部屋を出ると廊下もまた、幸いなことに無人だった。
最初に俺たちが踏み込んだ部屋は、現在も捜査員達で溢れており、俺は通路を反対側へ向かうことにした。
「どこか、他に出口はないのか?」
廊下を進みながらアザミに聞く。
「この突き当たりの手前の部屋が厨房です。ゴミ出し用の扉が裏庭に通じていて、そこからグールストン・ストリートへ出られます。・・・あの、僕、自分で歩きますから・・・」
「いや、案内だけでいい」
どう見てもアザミの衣裳は、咄嗟の時に走り出すには向いていないように見えた。
言われた通りに突き当たりの扉を開ける。
だが、次の瞬間、俺は頭の中が真っ白になってしまった。
「ジョージ、何を・・・!?」
厨房の真ん中に立っていたのは、よりにもよってアバラインだ。
彼の背後にある、脱出用として当てにしていた扉は外へ開け放たれており、裏庭からは聞き慣れた幾つかの声による、捜査員達の会話が聞こえていた。
「フレッド・・・その、俺は・・・」
何をどこから説明すればよいものやら・・・・もはや、現行犯で取り押さえられた、犯罪者の心境だ。
「君は、ひょっとしてバックス・ロウにいたアザミ・ジョーンズか?」
俺を見つけたときには、大きく見開かれていたヘイゼルの瞳を持つ彼の目が、質問を投げかけながら微かに細められる。
君という代名詞が、俺を指しているのではないことを理解するために、数秒を必要とし、その間に俺は意味をなさない言葉を、言い訳のために幾らか発していたように思う。
みっともないぐらいに、動揺していた。
俺とは違って、あっという間にいつもの冷静さを取り戻した、アバラインの質問に対して、アザミは小さな頭をコクリと動かし肯定する。
・・・いや、正確に言えば、アバラインの声は冷静に聞こえるが、いつもと同じというわけではないだろう。
低く固い印象の声・・・これは状況を正しく把握するために、激しく揺れ動く感情の波を必死に鎮めようと努めているときの声だ。
だが、彼の動揺の理由が実際にはどこにあるのかを、理解するだけの精神的な余裕が、このときの俺にはなかった。
俺の肩の付け根辺りで握りしめられていた、可愛らしい拳に力が入る。
そのせいでスーツの生地が引っ張られ、アザミに襟を掴まれていたのだと気が付いた。
アバラインが怖いのだろう。
「ここにいる少女達は、みんな被害者の筈で、アザミも・・・」
俺はただ、彼に言い訳を続けた。
理屈も何も、あったものではない。
重要参考人を刑事が現場から連れ出す愚行を、見逃してほしいと・・・俺と比べものにならないほど、立場の重い彼へ訴えるため、無様に言葉を並べ立てた。
これがアザミでなかったとしたら、たぶん俺はこんな馬鹿な真似をしなかった。
私情も良いところだ。
「さっさと行け。怪我人を発見したら、治療を優先するのは当然だ」
アバラインは固い声でそう言うと、俺が入ってきた扉へ向かった。
「フレッド・・・?」
「アーノルド警視には、付近の聞き込みへ回したと伝えておく。本人がやって来ないうちに、急げ」
通りすがりに低い声でそう呟くと、アバラインは廊下へ出てしまった。
「あ・・・ありがとうございます!」
俺は裏庭へ飛び出すと、目が合った何人かの捜査員へ、アバラインの入れ知恵通りに、怪我人を病院へ運ぶと吹聴し、予定通りにグールストン・ストリートへ出た。
そこからミドル・セックス・ストリートへ抜けて、クラベル・レーンへ入ると、まっすぐにシティ方面を目指す。
チャーチ・パッセージを通過し、小さな広場までやってきたところで、漸くアザミを下ろした。
「あ、おい・・・大丈夫か?」
「ごめんなさい。平気です・・・」
彼も緊張の糸が途切れたせいだろうか、地面へ足をつけた途端にふらついたので、俺は手を貸して、近くのベンチへ座らせた。
そして俺も隣へ腰を下ろす。
このあたりは自治区であるシティの管内で、警察組織も異なるため、巡回中の警官も、見知らぬ顔ばかりだった。
それでもアザミは制服警官を見るたびに、怯えた顔をして顔を伏せる。
「安心しろ、彼らはシティ警察だから、君を追ってきたわけじゃない」
そう言って手を握ってやると、アザミは顔を上げて俺を見つめ、細い指が弱々しく絡みついてくるのがわかった。
褐色の瞳が俺を映し出す。
『マダム・マギーの家』へいたときの、ドレスを着た姿とは違うが、東洋の着物を着ているアザミもまた艶っぽく、男であるとはとても思えなかった。
おそらく彼の色気は、女の格好をしている姿形のせいばかりではなく、内面から滲み出ている個性による部分が大きいのだろう。
アザミがこの場で俺を誘惑すれば、抗うことができないと思った。
独りよがりの、そんな俺の妄想が、実現すればの話だが。
「刑事さん・・・、助けてくださって、ありがとうございました」
「いや、それはいいんだが」
そう言って俺はアザミから手を放すと、立ち上がり、スーツのポケットから煙草を取り出す。
1本に火を点けて、一度だけ深く吸い込んでから、煙を吐き出しつつ天を仰ぎ、自分が咄嗟にしでかした、馬鹿馬鹿しい騒動を改めて振り返った。
アザミがあの場にいた原因はわからないが、彼もまた被害者であることは想像に難くない。
他の少女達は乱暴な扱いだったとはいえ、保護をされ、治療が必要な者は病院へ搬送されて、多少の時差はあっても、まもなく全員が家へ帰されることだろう。
それは、彼女達が女だからだ。
あの店は人身売買の通報があったから家宅捜索を受けた。
だが、店へ入ってみれば、あの場で少女達が性を売っていたか、あるいは売らされていたことは想像に難くない。
男であるアザミがそういう行為をしていたとなると、アザミ自身も刑罰の対象になってしまう。
ましてや彼は、下働きだったとはいえ、娼家である『マダム・マギーの家』にいたのだから、印象は最悪だ。
「・・・・・・」
考えを纏めながら振り返ると、アザミがまっすぐに俺を見つめていた。
女の衣裳。
化粧に慣れた小さな顔。
赤い口唇。
17歳の彼は・・・・一体どれだけの男を知っているのだろうか。
「なぜ、君があの場所にいた」
突然の尋問開始に、アザミの瞳は大きく揺れた。
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