その日の午後、ウェントワース・ストリートで起きた殺人の犯人と思われる人物達が逮捕された。
きっかけは付近住民による、喧嘩の通報で、捕まったのは3人の少年。
口論をしながらパブを出てきたところで、殴り合いに発展し、窓を壊されたクリーニング屋の店主が巡回中の警官を呼んできて、3人の少年はお縄となった。
彼らはオールド・ニコル・ギャングの一味であり、コマーシャル・ストリート署で取調中に、仲間割れから一人が面白いようにすらすらと自供を始め、キャッスル・リバー・ビルで起きた事件が自分達によるものだと認めたらしい。
口論の原因となったのは、週末に開催されるフットボール・リーグ開幕戦において、プレストン対バーンリーの勝利チームはどちらかという問題だったらしい。
「プレストン対バーンリーなんて、どうだっていいじゃないか・・・初代リーグ・チャンピオンはヴィラに決まっているのだから」
コマーシャル・ストリート署の取調官からこの話を聞いて、大半の刑事達が呆れていた最中、一人だけ承伏しかねると言いたげだったアバラインは、聞き込みからホワイトチャペル署へ戻る途中で、ボソリとそう呟いた。
窓の修理代は、殺人犯を野放しにしていた警察へ請求すると息巻いていたクリーニング屋の店主から、話を聞き出すのに1時間以上を費やし、既に日も落ちてウェントワース・ストリートにはポツポツと街灯が点り始めていた。
「そういえばフレッドは、週末にフットボールを観に行く予定だったんですよね」
フレッドは本来であれば明後日から休暇に入り、世界初であるプロ・フットボール・リーグの開幕戦を、スタジアムで観戦する予定だと言っていたが、この分ではそれも難しいだろう。
「今夜か遅くとも明日中に、一気に全ての事件が解決すれば、今でもそうするつもりだが。・・・まあ、ヴィラが勝ってさえくれりゃあ、それでいいさ」
そのようなスピード解決が現実的ではないことは、俺以上に本人がよく理解しているだろう。
「勝てるといいですね」
「ホームだ。勝つに決まっている」
「対戦相手はウルヴァーハンプトンでしたっけ? あっちも強いんでしょう?」
「ウルヴズの得点源はウッドぐらいだ。彼さえ押さえ込めば、うちにはアレンとグリーンがいる」
「そうなんですか」
本当のことを言えば、俺にはフットボールがよくわからない。
ちなみに、結局この週末の試合では、アバラインの祈りも空しく、アストン・ヴィラは2ゴールを決めたにも拘わらず、アウェイのウルヴァーハンプトンと引き分けに終わっていた。
そのうちの一点は、自陣ゴール前における混乱の最中に発生した痛恨のオウンゴールだったようだ。
尚、少年達はほか3件の娼婦殺害については容疑を否認している。
キャッスル・リバー・ビルの被害者を、ナイフで切り刻んだ動機については、一連の娼婦殺人事件の手口を真似て、捜査を攪乱しようとしたためらしかった。
署へ戻った後、俺は報告書を書きながら、アバラインへ昼間の出来事を説明した。
『トッドの理髪店』で見た物、そしてジニーから聞いた話とアザミの証言の矛盾点。
アザミはニコルズらしき女と一緒にいた男がキスをしていたと言い、ジニーはそれを否定した。
ジニーの話ではニコルズらしき女は、男を罵倒しながらブレイディ・ストリートの方面へ移動しただけだという。
最初にアザミに聞いた男女の目撃情報に関しても、バックス・ロウの住人たちは悉く否定しており、それを漸く証明したのがジニーだった。
今回もアザミの方が正しいのだろうか。
だが、ジニーがこの話を否定する理由が思い当たらない。
たとえば、ジニーが誰かを庇っており、そのためにニコルズとその男がキスをしていたことを否定しているのだろうか。
この場合、男がジニーの知り合いで、彼を庇っているのだとすると、寧ろ目撃証言そのものを俺に明すべきではないのではないだろうか。
冷静に考えてみよう。
街娼であるニコルズが、道端で男と揉めていたのだとすると、誘って相手にされなかったか、もしくは値段の交渉あたりだろう。
二人が普通のカップルであるならともかく、恋愛感情もないのに、路上でキスなんてするだろうか。
こう言っては失礼だが、ニコルズは43歳で、行きずりの男が口説くために彼女にキスをしていたとは、考えにくい。
そもそも揉めた直後の出来事ならば、若い男女が痴話喧嘩の後に仲直りのキスをするぐらいしか、思いつかない。
つまり、アザミが嘘を吐いている・・・・そうとしか、思えなかった。
「それでは、なぜそんな嘘を吐いたのか・・・という話になるが、その時の状況を説明してみろ」
アバラインに追求され、俺は現場へアザミを連れて行ったときのことを説明した。
そのときのアザミの様子、俺が真実だと思った理由・・・これは、現にジニーという証人が見つかっているから、問題はない。
俺はアザミを現場に立たせ、実際にニコルズがどう動き、男がどの位置に立っていたのかを、再現してみた結果、話に矛盾点が感じられなかったことを細かく説明した。
そして。
「・・・それで、まあ・・・その際に、アザミが、二人はキスをしていたように見えたと言ったので・・・」
不意にアバラインが目を見開いて、俺の話を止める。
「ちょっと待て。なぜそこだけ、いきなり話を省略するんだ」
「えっ、いや。そういうつもりでは・・・」
勘の鋭い指摘を受けて、俺は困った。
どこまで話したものか、実際のところ俺は心を決めかねていた。
「確認するぞ。アザミ・ジョーンズを現場に立たせ、状況を再現させたと言ったな。再現というからには、アザミはニコルズか男、どちらかの動きを真似たということだろう。どっちだ」
「ニコルズです」
「ということは、男の役をお前がやったということだな」
「はい・・・」
ヘイゼルの瞳が、俺を既にロックオンしており、どうやら逃げられそうになかった。
これは包み隠さず、話すしかないのだろう・・・そう観念した矢先。
「・・・・・したのか?」
不意にヘイゼルの瞳が、俺から視線を逸らす。
「え?」
「だから、アザミとキスをしたのか・・・と、聞いたんだ」
「しませんよ! ・・・・そんなことしたら、大問題じゃないですか!」
「・・・そうなのか?」
アバラインの視線が俺に戻ってきた。
「そうなのかって・・・当然でしょう。大体屋外で真っ昼間から・・・、いくら相手は女装しているとはいっても男ですよ? 出来るわけがないでしょう」
「そうか・・・屋内ならしたのか」
「だから・・・・、相手は一般市民ですよ? 現場検証中に非常識でしょうが」
強気に言い切ったものの、正直に言えば、あのとき俺にもちょっとぐらいの下心はあった。
目の前にいたアザミは、やけに色っぽかったし、あれが屋内なら、あるいはしたかもしれない。
「そのぐらいの良識はお前にもあったが、そこは相手に正しく伝わらなかった・・・あるいは、判断できる心境ではなかった・・・そういうことか。だからじゃないのか?」
そう言うと、突然アバラインは立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
「・・・はい?」
言われた意味が、まるでわからなかった。
前半部分で、かなり失礼な発言があったことはわかっていたが、そこは責められても仕方がないだろう。
実際に俺がアザミにやったことは、公権力を嵩に着た、セクハラ以外の何ものでもない。
だからこそ、アザミの証言に嘘がないという見極めになったわけだが、俺が楽しんでいたのは事実だ。
良識を疑われて、上司を呆れさせたとしても、自業自得である。
仮にアザミが俺を訴えたとすれば、裁判で勝てはしないだろうし、新聞沙汰になれば、警察の信用は失墜する。
そこまでいかなくても、アバラインがこのことを問題にすれば、懲戒処分は免れない・・・彼の性格から察すれば、その心配はないだろうが、俺ががっかりさせたことだけは確かだ。
つくづく、馬鹿なことをしたと、漸く反省した。
しかし、後の台詞は理解できなかった。
だから、とは・・・・『何』だから、『どうだ』と、アバラインは言っているのだろう。
話を聞き逃したわけでもないのに、前後に当てはまる単語が、そのイメージすらも沸いてこない。
「そんなことも、理解できないんだからな・・・少年がその気になるだけの過程が、そこへ至るまでの間に、間違いなくあった筈だろうに、さぞかし肩透かしを食らわされたと思ったことだろう。憐れに思うよ」
「あの・・・何の話をしているんです・・・っていうか、一体どこへ行くんですか?」
俺もアバラインを追いかけながら、質問する。
「何の話をしていたのか、というぐらいのことは、悪いが自分で思い出してくれ。どう思ったのかは知らないが、俺は主題を途中で変えた覚えはない。考えてみれば、お前らしい話かもしれないな・・・そうやって、あちこちで。ところで、付いてくるのは構わないが、ここから先は、廊下で待っていてくれないか? 1階東は、一人用だ」
そう言うとアバラインはトイレの扉を開けて、素早く目の前で閉じてしまった。
「うわっ・・・・とと。何、カリカリしてんだよ、一体・・・っていうか、怒られるのは当然か」
派手な音を立てながら目の前で閉まった扉を確認し、一人で刑事課へ引き返しつつ、俺は始末書の文章を考え始めた。
ちなみに、廊下で待っていろと俺に言ったくせに、アバラインはその後10分もトイレから出てこなかったのだ。
便秘だろうか。
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